起床、6時半。晴天のち曇り。
シーツを洗濯、掃除、キッチンを朝から磨く。
連休早々、関越道で大きな高速バス事故のニュース。
朝食、まありと。
鯵のひらき、春キャベツと厚揚げの煮物(ゆずごしょう)、菜の花のぬか漬け、塩むすび。
まありが外出したので、午前中から夕方まで、昼食も摂らずに仕事をする。
30枚ほど書く。
スタートしてはまずまず。
夕方、買い物へ。
子どもたちが公園で遊んでいる。
わさわさと吹きぬけていく風、カラスたち。もう晩春。
顔じゅうを蒲公英にして笑うなり 橋聞石
ゆさゆさと春が行くぞよ野辺の草 一茶
若草に口ばしぬぐふ烏かな 凡兆
行く先を惜しみし春の明日よりは来にしかたにもなりぬべきかな 凡河内躬恒
ストラヴィンスキーの「火の鳥」を聴きながら、肉をオーブンで焼いたり、シーツにアイロンをあてたり。
「火の鳥」はドラティ指揮デトロイトSO、82年録音。
これは1911年全曲版。19年版より好き
大胆な着想、強烈なリズム、踊るような色彩、斬新で緻密な書法。
若いストラヴィンスキーの野心を感じる傑作。
夕食、まありと。
ミートローフ、蕗とかりかりベーコンのオリーブオイル炒め、春キャベツとトマトの蒸し煮(キャベツを半玉)、
野菜のスープ(キャベツの芯、にんじん、たまねぎ)、バゲット。
ビールはサッポロ黒ラベル。
ミートローフは成形するときに上に一筋くぼみを作っておいて
そこにサラダオイルを注いでおく。
そうすると焼いている途中も油分が肉全体に行きわたって均等に焼けるし、
ぱさぱさした仕上がりにならない。
焼きあがったらホイルをかぶせてしばらく落ち着かせると、
切るときに形が崩れないし肉汁も逃げない。
お風呂に入ってワイン。
「Baron de Lestac 2008」。1000円くらいだった気がする。ふつうのワイン。
パリのタパスバーやオードブルバーで飲むようなワイン、と言ったらいいのか。
安ワインを飲みながら、60年代の古いガレージロックの7インチを数枚、消化。
読書、数冊。
為近磨巨登『書道用紙とにじみ』という本に蒙を啓かれる。
十数年前のことになりますが、墨の研究のため実験をしているとき、あることに気がつきました。
それは墨汁の一滴を画仙紙に落としたとき、濃墨の場合は墨だけが広がりますが、淡墨だけにすると墨のにじみの外側に水のにじみができたことです。これに興味を持ちその理由が知りたくていろいろ文献を調べました。
紙の研究者は「墨のにじみは、繊維と繊維の間の細孔(空隙)が毛細管の役目をし、墨汁が毛細管現象によって、連続した空隙をどの方向にも浸透する」と書いています。にじみは墨汁が繊維と繊維の間の空隙を通ることによってできることはわかりますが、水だけがにじむ現象については書かれていません。
墨の研究者は「墨汁が滲むのは、炭の粒子が微小だからである」とか「墨の粒子が小さいほど滲みやすい墨になり、墨の粒子が大きくなるほど線の輪郭が明瞭に現れる」と書いていますが、これも水にじみのことについては触れられていません。結局、文献では筆者が望んだような答は見つかりませんでした。
そこでまず思いついたことは、墨汁が毛細管を通るとき、墨粒子が重いため水だけが先に進むのではないかということです。ところがコロイドの本では、墨汁はコロイド(後述)であり特別なことがないかぎり墨と水に分離することはないと書いています。水にじみ現象の理由はわからないままでしたが、このことはその後、墨や硯のことを勉強しているときも頭から離れることはありませんでした。
そんなとき、ふと一つの考えが浮かんできました。それは墨汁は繊維間隙を通るが、一部の水は繊維の中を通っているのではないかということです。これなら水と墨汁が分かれて、水にじみがでいることが不自然でなくなるからです。
この仮説を検証するために、88歳の筆者はこつこつと研究していく。
そのさまが実に琴線に触れる。
知の歓びはどんなに歳をとっても関係ない。良書。
タブッキ『時は老いをいそぐ』をちびちび読む。
ハイランドパーク18年をロックで。
就寝、3時予定。
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