起床6時。終日晴天。
起きて顔を洗って、すぐに仕事。原稿3枚。
朝食、昨日飲みすぎ食べ過ぎで食べれそうにないので、結局わたしもまありも食べず。
お花見に使った食器を洗って拭いて、掃除と洗濯をして、玄関を掃いて、窓を拭いて、
コートの類をクリーニング屋さんに出して、銀行に行って、
コンビニの駐車場でホットのカフェオレ飲んで、
9時半に開店するお店にブーツ類をクリーニングに出して、スーパーで食材を買った。
ぬか漬を作ろうと思って、ぬか床を練る。5年ぶりくらいだろうか。
ぬか床ができるまで、1週間か10日くらいかかるだろう。
干し大根、干し人参もついでに作る。
合間に山頭火について調べもの。
昨日のお花見でRさんから「山頭火に桜の句がないのはどうして?」という質問を受けたので。
ちくま学芸文庫の山頭火句集には、調べるかぎり、桜の句はひとつしかなかった。
いつとなくさくらが咲いて逢うてわかれる
「白い花」というエッセイにはこうある。
私は木花より草花を愛する。春の花より秋の花が好きだ。西洋種はあまり好かない。野草を愛する。
昨夜はRさんには直感的にこう説明した。
行乞の旅をしていて顔をあげることが少なかった山頭火は、
見上げなくてはならない花よりは、野花のような下の方の視線に見える花をおのずから好んだのではないか。
遠からずと言ったところだろうか。
もうちょっと日記を読み込むと違う答えも見つかるかもしれない。
華やかな桜は、山頭火のコンプレックスを刺激したのかもしれない。
昼食、ひとりで。
よもぎ餅(昨夜のいただきもの、きな粉ときび砂糖かけて)を2個、ソイラテ。
午後、翻訳仕事。
徐々に終わりが見えてきた。
夕食、まありと。
鮭のムニエル、車麩と干し大根の煮もの、わかめとねぎの醤油炒め、
肉団子入りの豆乳スープ、ホタテと大根のおこわ。
干し大根の煮ものは煮干しでだしをとった。半日でも干すと、大根は甘みが増す。
ムニエルは醤油バター風味で。
日本酒、司牡丹を冷やでぐびぐび。
お昼仕込んでおいたイチゴのグラニテ、
Heimerssheimer Sonnenberg Silvaner Eiswein 2005。
佐藤初女『初女さんの料理』などを読みながらエウレカ待機。
おいしく食べて、そのことが心に深く残る。そのような料理を作りたい、とわたしはいつも考えています。でも、どこがその人の心に響くのか、わかりません。受ける人によって響き方は様々なので、十の工程で仕上がるものがあるとすれば、どの工程にも手を抜かないで、すべてに心をかけてやらなくてはいけないと思います。時間と手数をかけただけ心がこもっているからでしょうか、一つ一つをていねいにすると、不思議なぐらい伝わります。
だからわたしは、おしゃべりしながら料理をすることができません。おむすびをにぎるときも、一心にやっていますので、隣の話も聞こえないし、ほかのことを考える余裕はありません。そして味をみるということも大切にしています。レシピどおりに何グラムではなく、レシピはあくまで参考にして、自分の舌で確かめながら何回でも直して完成の味に近づけていきます。若いころ、食通のおじさんが「名コックは味を30回みるんだ」と教えてくれましたが、「なるほど、そのとおりだな」と思って、それをいまでも実践しているのです。ていねいに作ったものを人にお出しして「おいしい」と言われると、これほどうれしいことはありません。料理が大好きになりますよ。
料理とは、つねに他者との対峙である。
しかも、その対峙は単に観念的なものではなく、自身の感覚(味、匂い、色、食感、音)を駆使して、
歓待の場を作り出すというアクチュアルな行為であるということ。
『エウレカセブン』、41話~45話。
他者の深淵を超えるための恋。
わたしと同じではない誰かのために、その誰かになりたくて、自分にふるう暴力。
寝る前、アドルノの初期論文集を読む。
アドルノ的には「エッセー」と見なされるもの。
就寝、3時予定。
0 コメント:
コメントを投稿