Vermeer et Spinoza (27th Apr. 2012)

/ 2012年4月28日土曜日 /

起床、6時。終日晴天。
朝から掃除、洗濯。
ベランダの窓ガラスを拭く。

朝食、まありと。
蕎麦の実入りの雑炊(昨夜の残りごはんで)、もやしと筍の炒め物、筍のぬか漬け。

食事を終え、資料をそろえにすぐに書庫へ。
最初はスキャンしていたんだけど、めんどくさくなって、結局けっこうな量の本を運び出すことに。
水だしコーヒーを作るウォータードリッパーも書庫から回収。
天気が良くて、少し買い物(アイスコーヒー用の豆)をしたり、散歩をしたり。
藤の花をみかける。7分咲き。金雀枝、みやこわすれ。

藤棚の風は紫にて候  山下しげ人

金雀枝の咲きあふれ色あふれけり  藤松遊子

雑草園都忘れは淡き色  高濱年尾

帰宅して昼食、ひとりで。
蒸しジャガイモのアンチョビ乗せ、クレソンと生ハムのサラダ、コーヒー。
水だしコーヒーをさっそく作る。

午後、2枚。脱稿。その後、気力が続かず。
クッキーを焼いたり、料理をしたり。

夕食、まありと。
海老とクレソンと春キャベツの水餃子、蓮根のマスタード和え、
ネギと玉子の鶏油炒め、きくらげともやしの中華スープ、ごはん。
ビールは、まありが「飲んだことない」と言って買ってきた333。

水餃子は皮も自作。
たれはオリーブ油+わさび+米酢+塩、黒酢+にんにく+醤油の2種。
蓮根は酢を入れて下茹ですると固くならない。鶏油も自作。

ウクライナで連続テロ。
ロンドンで立てこもりのニュース。

ボルドーのデザートワイン「Chateau Peybrun 1998」。
ぎんぎんに冷やして飲む。おいしい。
蜂蜜、レモンの香り、ごくかすかに苦み。
これはもっと寝かせるとさらにおいしくなるような気がする。あと数年?
肴は昼間に作ったドライいちじくとくるみのクッキー。
このワインに合わせるのであれば、もうちょっと甘さをひかえたほうがよかった。

読書。ジャン=クレ・マルタンの『フェルメールとスピノザ』を読了。
スピノザはなにも決定論者だったわけではない。むしろ、自己以外の外部にもたれかかろうとする人間に、
自由の厳しさを教えようとしたのだろうと思う。
厳しいけれども、そのさきにはきちんと見返りがあるのだと。

パラダイスもなければ、後ろに隠れた世界も超越的な世界もないのだ! ここから、この内部から、われわれは一種の永遠性の経験を行なうのであり、そのときわれわれを活気づける”コナトゥス”は精神ともっとも正しくかつもっとも適合的な関係のなかに置かれて、真の観念がおのずから姿を現わすのである。しかし、めいめいがおのれの存在に即して存続し続けようとする努力を倍加するこの自己ヴィジョンは、全員に等しい仕方で与えられているわけではない。ここでも、異なった認識の段階があり、異なった種類の世界の読解の仕方がある。正確を期して言うなら、それは三種類ある。経験による認識、理性による認識、そして直観による認識の三つである。そして、この三つ目の認識が、観念を理性によって演繹することも、経験によって帰納することもなしに、観念をそれ自体として捉えることができるのだ、とスピノザは言う。
自己に署名し自らを正当化する真の認識は、演繹的観点から見ても、帰納的観点から見ても、ほとんど同じことである。しかし、直感だけがおのずから輝くものの明証性をキャッチすることができるのだ。これは直観に高度なかたちを与える絵画の歴史であり、ひとえにまなざしの効用にかかわる。実際、直感は自然が自らに即して広がりを持つのと同じような仕方で自然の光を取り入れる。それは自然的で自然を生み出す思考の明晰性のなかで、自然が自然身体によって見られた姿である。それはスピノザが精神が〈神あるいは自然〉に向かって立ち上がっていくときに身体が経験するものとみなした至福のヴィジョンにほかならない。しかし精神は、本当に自然の眺望と融合すること――たとえば『デルフト眺望』のように――ができるのだろうか? 精神は活動的であると同時に観想的であることができるのだろうか? 精神はつねに外部の支柱、根拠のない幻想としか言いようのない外在性や超越性を必要とする帰納法や演繹法から身を解き放つことができるだろうか?

深夜、4枚。
明日、推敲して脱稿する予定。
世間では連休がはじまっているけど、わたしには関係ない。

就寝、3時半予定。

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solla mikanagui a.k.a.delineators

基本的にいい加減。
しかも、ふだんは我慢してるけど、根がオタク。
仕事がらみの真面目のことは本垢にまかせて、
せめて副垢では本性を出すことにしたい。

座右の銘は「Quid sit futurum cras, fuge quaerere!」
ホラティウスせんせいの格言で、要するに「なるようになるさ」ってこと。
音楽と本が主食。
でも、料理を作るのも好き。お酒が大好き。
そんで、妹が好き。

まあ、そんな感じ。
 
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