Ballet Mecanique (12th Apr. 2012)

/ 2012年4月13日金曜日 /

起床6時。天気はまずまず。
従姉の家出騒動がおさまり、青野武さんが亡くなり、昨日はアチェで地震。

朝食、昼食はなし。
まありはお友だちの家に遊びに行っていない。

朝、シーツやシャツにアイロンをかけた後ひたすらに仕事。
まったくお腹もすかないし、常盤堂のおかきなんぞを食べ、お茶を飲みながら
淡々と校正を4本する。

昼過ぎには終了。さらにトド撃ちに。
メールを数通、書類を何枚か書き、投函。
15時には仕事を終了。

音楽を聴いたり、読書をしたり、ネットをしたり。

夕食、まありと。
棒だらとこんにゃく・焼き豆腐の煮物、揚げ茄子の柳川風(粉山椒たっぷり)、
こごみの白和え(くるみを混ぜた和え衣)、干菊と長芋のおひたし、
大根とにんじんのぬか漬け(ちょっと古漬け気味)、ちかえの明太子、ごはん。
日本酒は緑隆、全部飲みきる。おいしかった。

竹内幸絵『近代広告の誕生』、読了。

室田庫造は『広告界』編集長就任から二年後の1929年、新しい広告用語の普及に乗り出す。室田が日本に初めて紹介したその新語は「レイアウト」だ。
三年後、学術書の多くが「レイアウト」という言葉を用いて広告表現を論じるようになる。これを見る限り室田の目論みは成功したようだ。『広告界』誌上での室田の記事をきっかけに、この新語は1930年代に広告関係者の間でいわば「流行」するのだ。
ところで、戦前を振り返って戦後、「レイアウトマンから発生して、アートディレクターという考えにたどりついた」と書いた制作者がいる。レイアウトマン? 戦前にはこの奇妙な呼称の「レイアウトを行う専門職」が存在したようだ。どんな人がその職につき、彼らは何を職務としたのだろう。

この「レイアウト」という概念が30年代日本の広告業界にどう受けいれられ、
幻の40年東京オリンピック・プロパガンダ、さらに総力戦体制の構築にまでつながるか。
スピード感のある記述でおもしろかった。

夜、「エウレカセブン」46-50話。
やはり「バレエ・メカニック」の回は泣く。
と、これがセカイ系にカテゴライズされていることに違和感を感じる。
そもそも、エウレカの姿がどんどん変貌していく(まるでハンセン氏病のように)こと。
たとえばそれは『最終兵器彼女』と対比できるわけだが、人体×機械という根本的に異質なものの組み合わせではなく、
エウレカの場合は、生物と生物、緑色をしたゼリー状の身体が人間の身体から湧き上がるように
(それこそ大地から生えるスカブのように)変貌していく。
他者は、わたしが理解可能な性質を残したコンプレックス(複合体)としてではなく、
そもそも生理的に受け入れがたい、触覚が先行する実体として出現する。
それをレントンが乗り越えていくこと。
「触っていい?」とエウレカに尋ねて、おずおずとその羽に手を伸ばすこと。
そう考えると、わたしにはとても「エヴァ」と比較する気にはなれない。

就寝、4時予定。

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solla mikanagui a.k.a.delineators

基本的にいい加減。
しかも、ふだんは我慢してるけど、根がオタク。
仕事がらみの真面目のことは本垢にまかせて、
せめて副垢では本性を出すことにしたい。

座右の銘は「Quid sit futurum cras, fuge quaerere!」
ホラティウスせんせいの格言で、要するに「なるようになるさ」ってこと。
音楽と本が主食。
でも、料理を作るのも好き。お酒が大好き。
そんで、妹が好き。

まあ、そんな感じ。
 
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