The Two Cultures (26th Mar. 2012)

/ 2012年3月27日火曜日 /

起床、6時半。30分寝過ごしてしまった。今日もよい天気。

ぐーすか寝ているまありは放置し、支度をして、朝食もとらずに新幹線で大阪へ。
移動しながら、資料をみたり考え事をしたり。

まず吹田の叔父さんの家へ。
お参りをして、おばさんと少し話をする。
庭に沈丁花が咲いていて、良い匂いがした。

13時半に梅田で打ち合わせ。
Sせんせい、Dせんせい、Hせんせい、Tせんせいなどなど。
ついでに編集KM、HHほか。
Sせんせい以外は、初対面。Twitterではよく絡むのに、ものすごく緊張した。
対人スキル、コミュスキルがなさすぎる。
ほぼ方針が決まる。勉強になった。

16時すぎ、散会。
K書店に寄って、Oさんを訪ねる。挨拶してしばらく立ち話。
最近の大阪の本の売れ行き動向など。

新幹線でとんぼ帰り。
おにぎりを食べながら(今日初めて食べた固形物)、チャールズ・パーシー・スノーの『二つの文化革命』など。
半世紀前に書かれた、科学と人文学のディスコミュニケーションについて。
冷戦の影響が濃いが、このディスコミュニケーションがいたるところに偏在してしまっている現代。

われわれが知っている最高の教育を受けた人びとは、自分が主として抱く知的関心の分野では、すでにお互いに意思疎通ができなくなっている。これは、われわれの創造的生活、知的生活、とりわけ正常な生活にとって重大なことである。これによって過去を間違って解釈し、現在を誤って判断し、未来の希望を拒むようになるのだ。それは、われわれが適切な行動を起こすのをむずかしくし、不可能にする。
私は、このコミュニケーションの欠如の最もきわだった例を、私が二つの文化と名付けたものを代表する二群の人びとという形で示した。その一方には科学者を入れたが、彼らの重要さ、業績、影響はあらためて強調する必要もなかった。他方には文学的知識人を入れた。そのさい、私は文学的知識人が西欧の世界の主要な決定者として振舞っているといおうとしたのではない。私がいおうとしたのは人文系の知識人は非科学的な文化の風潮を代表し、それを口にし、ある程度それを形づくり、それを予言するということであった。そして彼らは決定者ではないが、彼らの言葉が決定を下す人びとの心に浸みこんでいるということであった。この二群、科学者と人文系知識人のあいだには、ほとんどコミュニケーションがなく、共感はなく、その代りにある種の敵意が存在している。

本人も自己批判しているところだけれど、この二分論自体はあまりに単純化しすぎているとは思う。
しかし、当たり前のことなんだけどフクシマ以降、こういう視点は重要ではある。
少なくとも、問題の一面はとらえている。

博多駅でまありと待ち合わせ。沖縄料理屋Dへ行く。
島らっきょうの酢漬け、もずくの酢の物、もずくの天ぷら、ふーいりーちー(車麩の卵炒め)、
ゆし豆腐(アオサと昆布だしで)、足てぃびち、そーきの煮つけ、赤うるめの燻製など。
〆はぐーじる(呉汁)とおにぎり。

帰宅してお風呂、メールなど。
就寝、2時予定。

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solla mikanagui a.k.a.delineators

基本的にいい加減。
しかも、ふだんは我慢してるけど、根がオタク。
仕事がらみの真面目のことは本垢にまかせて、
せめて副垢では本性を出すことにしたい。

座右の銘は「Quid sit futurum cras, fuge quaerere!」
ホラティウスせんせいの格言で、要するに「なるようになるさ」ってこと。
音楽と本が主食。
でも、料理を作るのも好き。お酒が大好き。
そんで、妹が好き。

まあ、そんな感じ。
 
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