Inherit the Stars (4th Mar. 2012)

/ 2012年3月5日月曜日 /
起床、8時半。寝坊。曇天。
朝食ぬき。まありは終日不在。

先日夜に仕上げた仕事をチェックして送信。
資料を探して集めたり、アニメを見たりしながら午前中をだらだらすごす。
雨が降り始める。

昼食。パルメザンチーズの玄米リゾット。
シトロン・ジュネヴァを炭酸で割って飲んだり。
リゾットの具は鶏の胸身、玉ねぎのみじん切り、最後にポーチドエッグ。
先日買った4年物のパルミジャーノを使った。
玄米なので自然とアルデンテ仕上がりになるのがよろしい。
それにしてもパルミジャーノは、熟成年数によってこうも味に違いが出るのかと驚く。

たった6枚の仕事にえらく苦闘する。
午後をたっぷり使ってしまった。

お風呂のなかで三島由紀夫の『太陽と鉄』を読む。

見ることと存在することとを同一化しようとすれば、自意識の性格をなるたけ求心的なものにすることが有利である。自意識の目をひたすら内面と自我へ向けさせ、自意識をして、存在の形を忘れさせてしまえば、人はアミエルの日記の「私」のように、しかと存在することができる。しかし、いわばそれは、心が外から丸見えになった透明な林檎のような奇怪な存在であり、その場合の存在の保証をなすものはただ言葉だけである。模範的な、孤独の、人間的な文学者。

ここからしばらく林檎の比喩が続く。
芯たる私は林檎であることを信じることができない。
ゆえに、林檎を割って外からその果皮を見るしか道がないのだが、
そうすると、それは林檎であるといえるのか、と。
それは身体を鍛え、自衛隊に入隊までした三島の動機にあたる部分なのだが、
こんな人間、もうこの世のどこにもいない。
三島が予期していたように、世界はその後の数十年をかけてさらにダメになった。
(わたしが三島のこの視点を首肯することはないけれども。)

まありが遅くなるというのでひとりぶんの夕食をのんびり作る。
シエナの手打ちパスタ、ピーチ。
00粉がないので、強力粉と薄力粉で代用。
強力粉:薄力粉:水=1:1:1の分量で生地を作った(結果的に言えば、もう少し薄力粉が多めでもいい)。
あと、ごく少量の塩、オリーブオイル。
ある程度伸ばした生地を包丁で切る。さらに手で転がして細くする。

寝かせたりしていたら、22時に夕食。太るじゃないかと思うが仕方ない。
パルミジャーノと、オリーブオイル、ちょっと残っていたジェノベーゼ・ソース、
トッピングが、松の実がなかったので乾煎りしたアーモンドスライス。
まずまず。もっと生地を寝かせるといいように思う。
しかしソースにパンチが足りない。
まだ生地が残っているので、明日の夕食はラグーにしようと思う。
シエナだからな。こういう素朴な料理には土地柄を考えたほうがはずれない。
飲み物は、Castiglioni Chianti Frescobaldiのハーフ。
ミディアムボディで飲みやすいトスカーナワイン。

ちびちびラムなど飲みながら音楽を聴いたり。
ジュリアードSQのシューマン『弦楽四重奏曲第2番』など。

大澤真幸、読了。ほかに(エロも含めて)漫画など。
星野之宣『星を継ぐもの』は相変わらず面白い。
J・P・ホーガンの原作にストーリーは沿っているが、構成は変えてるようだ。

ブランショ『文学空間』を、10年ぶりか再読している。
就寝、3時予定。

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solla mikanagui a.k.a.delineators

基本的にいい加減。
しかも、ふだんは我慢してるけど、根がオタク。
仕事がらみの真面目のことは本垢にまかせて、
せめて副垢では本性を出すことにしたい。

座右の銘は「Quid sit futurum cras, fuge quaerere!」
ホラティウスせんせいの格言で、要するに「なるようになるさ」ってこと。
音楽と本が主食。
でも、料理を作るのも好き。お酒が大好き。
そんで、妹が好き。

まあ、そんな感じ。
 
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