早朝からスケジュール変更について謝りのメールなど。
はやめの朝食。まありと。
こんにゃくのきんぴら、納豆、焼き海苔、カブのお味噌汁、セリごはん。
午前中、仕事4枚。
はやめの昼食。まありと。
こんにゃくのきんぴら、お味噌汁、セリごはんのおむすび(朝食の残り)。
まありと新幹線で大阪へ。叔父の通夜と葬儀へ向かう。
移動中はずっと読書。エーコの『もうすぐ絶滅するという神の書物について』。
インターネットはすべて与えてくれますが、それによって我々は、すでにご指摘なさったとおり、もはや文化という仲介によらず、自分自身の頭でフィルタリングを行うことを余儀なくされ、結果的にいまや、世の中に六〇億冊の百科事典があるのと同じようなことになりかねないのです。これはあらゆる相互理解の妨げになるでしょう。
「諸文化は、保存すべきもとの忘れるべきものを示すことで、フィルタリングを行な」う。
この誤りすら含めた「暗黙裡の共通基盤」が、
すなわち「共通の百科事典」が、対話や創造を保証しているのではないか、とエーコは言う。
あらゆる思想や知識に、あらゆる時間軸に、なんら制限を受けずにアクセスできるということ。
それを引用し、参照し、主張を展開することが、はたして対話の有効性を保証できるのか?
そう、エーコは問う。
ネットについてのあれこれから、本そのものをめぐる話へ。
電子書籍と紙の本について、記録としての本について、本と記憶について、
忘れ去られる本、読まれなかった本、もしくは書かれたことのない本について、
本とはそもそもなにかということについて、本を書いた者どもについて、
本を書くという精神について、本に書かれていることについて、
宗教と本について、検閲と焚書について、
本を集めることについて、死んだあとの蔵書について。
本には2種類あると主張する人たちがいますね。つまり、誰が書いたかが大事な本と、誰の持ち物だったかが大事な本です。
過去についての我々の知識は、馬鹿や間抜けや敵が書いたものに由来している。
電子書籍は、書物それぞれが持つ固有の物語を剥奪する。
図書館に寄贈される故人の蔵書、古書に引かれた傍線、朱書き、落書き、読了記念の署名。
そういったものだって、本の属性なのだ。物神としての本。
読みながら、楽しくて時間を忘れた。ありがとう、エーコ。
新大阪のホテルに荷物を預け、吹田へ。
吹田には伯父叔父伯母叔母従姉妹従兄弟がけっこうそろっていた。
ほとんど10年ぶりの親類もいる。近況を伝える。
まありなど、亡き叔父とは2度ほど、しかも小中学の頃に会ったっきりなはずだ。
通夜の手伝い。
亡き叔父の部屋を少し見せてもらう。相変わらず密教の本が多数。
建築事務所で働いていた叔父が、なぜこれほど密教の勉強をしてたのかしらない。
オクスフォードのサンスクリット辞典には笑った。
CDラックにあったシュニトケの無伴奏合唱曲をぼんやり聴く。
20時すぎにホテルへ戻る。
通夜の席では、少しお寿司をつまんだ程度だったが、
まありはコンビニで買ったおにぎりを2個食べると、すぐに寝てしまった。
わたしはPCと本を持ってバーMへ。
チョップド・ニソワーズ・サラダ、生ハム盛り合わせ。
Snoqualmie Vineyards 2009 Chardonnayなど。
午前中書いた原稿の推敲など。
そろそろホテルに戻るとしようか。
就寝、2時半予定。
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