Uranus Queen (30th Mar. 2012)

/ 2012年3月31日土曜日 /

起床5時、曇ったり晴れたり。暖かい日。
朝から引き続き翻訳仕事。

朝食、まありと。
塩おにぎり、昨夜のシチューの残り。

早い時間に朝堀りの筍を買いに行く。
春ごぼう、春キャベツ、新タマネギなど。

筍を茹でながらキッチンで集中して仕事。
(結局今日は、ほとんどキッチンで仕事をしていた)
窓を開けると、1枚だけ桜の花びらが飛んできた。
昨日と今日でけっこう咲いたんじゃなかろうか。

初ざくら旅ゆくこころ風に似て  大谷碧雲居

昼食、ひとりで。
卵とレタスのチャーハン、トマトのスープ、レタスサラダ。
豆腐のマクロビ風ケーキを仕込む。

午後、6枚の仕事。
さくさく終わらせて、明日推敲&脱稿予定。
残り時間は校正。終わらせる。

夕食、まありと。
鰆とごぼうのお煮つけ、筍の土佐煮、春キャベツの浅漬け、わかめと南関揚げのお味噌汁、ごはん。
クラシックラガー。
デザートは、チーズケーキっぽいコーヒー味の豆腐ケーキ。

お煮つけは赤酒ときび砂糖で。
筍は昆布だしと薄口醤油で炊いて、空煎りしたかつおぶしをまぶす。

ケーキには、チーズや生クリーム、バターのような乳製品は一切使わない。
基本的に木綿豆腐だけ。つなぎに小麦粉。白みそを生地に少し入れてコクを出す。
メープルシュガーを使うけどあまり甘くしないようにする。
濃く抽出したコーヒーを生地に混ぜて、マーブル模様をつける。

このケーキは焼くのが難しい。
注意しないと「す(隙間)」が入ってしまうし、蒸し焼きでは表面に美味しそうな焦げ目がつかない。
なので、型のまわりにアルミホイルを巻いて、直に熱が入るのを防ぐ。
あとは、焼いている間はちょいちょいオーブンのなかを確認すること。

ケーキを食べながら、Louis Jadoのマールをなめなめ読書。
井上忠先生の『根拠よりの挑戦』を、今夜もちびちび。
水無月すうせんせいの『そらのおとしもの』が相変わらず適当な展開で面白すぎるが、ちっとも話が進まない。
水無月せんせいは漫☆画太郎せんせいの影響を受けてるよな、ぜったい。

就寝、2時予定。

Sakura (29th Mar. 2012)

/ 2012年3月30日金曜日 /

起床4時半、終日晴天。暖かい日。
マンションからもずいぶん桜の花が咲き始めているのは見える。

早朝から翻訳仕事。
バイオリズムが落ちてきているので、リズムを変える。

朝食、まありと。
ホットケーキ、イチゴのコンフィチュール、生クリーム、コーヒー。
到来物などを受け取る。

昼食、ひとりで。
よもぎごはんで作った焼きおにぎり、油揚げの味噌炒めと春菊の胡麻和え、とろろ昆布のお吸い物。
おにぎりはオリーブオイルと塩で焼く。

午後も翻訳仕事。
レコ屋と酒屋から荷物。
甘いものを食べたくなって、冷凍していたクッキー生地を焼いたり、パン屋さんに行ったり。

夕食、まありと。
ハンガリー風豚肉で作ったシチュー、そら豆のブルーチーズグラタン、
セロリとアスバラガスのマリネ、ライ麦パン。
ワインはMouton Cadet 2009。

ハンガリー風シチューは、パプリカ・パウダー、チリ・パウダー、トマトピュレで味を決めたもの。
やわやわパスタやマッシュポテトを添えるのが普通。今日はマカロニ。
ワインは1000円台だけどCPよかった。
ベリー、バニラ、カシス、わずかにミント。果実味が強いミディアムボディ。

夜、エウレカをネットで視聴。
いろいろBDもたまっているんだけど、見る暇がない。

夜も少しだけ仕事。
トド撃ちとカード整理。カードが千枚近くたまっている。ヤバい。

その後読書。苅部直『安部公房の都市』をささっと。
数年前の『丸山真男』に接続した位置付け。

・・・安倍によれば、「民主主義の原理というものをとことん突き詰めてみると、意外と全員が箱男になってしまう」。顔の見えない箱男は、他人にとってはその個性を特定できないが、そのことは箱に入っている本人からすれば、確定したなんらかの成員として「登録」されるのを拒否できることを意味する。それは、「同時に誰でもあり得るということによって主体性をまた取り戻す」営みでもあるだろう。個人が特定の集団のアイデンティティへの同一化を避けながら、それでも他者と共存する枠組みとしての「デモクラシー」。そう考える場合、「いったいデモクラシーの極限というものはどういうものであるか、人間がそれを本当に耐え得るのかどうか」。その問題意識に、箱男という主題への関心はつながってゆくというのである。

ほかに、井上忠先生の『根拠よりの挑戦』もちびちび。

ひさしぶりにマールを飲む。
Vieux Marc se Bourgogne A la Mascotte Louis Jadot。
そんなに高くないし、樽香もほどほどでよいお酒。
今日、封を開けたけど、しばらくするともっと飲みやすくなるかもしれない。

就寝、2時予定

Le Tombeau de Couperin (27th Mar. 2012)

/ 2012年3月28日水曜日 /
起床、8時半。がっつり寝る。天気がいい。

朝食、まありと。
カマンベールと筍のトースト、菜の花と茹で卵のサラダ、人参のポタージュ、コーヒー。
まありのトーストには発酵バター、わたしにはエキストラヴァージンオイル。
コーヒーはマンデリン。

午前、4枚の原稿。終了。

昼食、ひとりで。
中華粥、トッピングは茹で鶏のラー油和え、ネギ。
お粥を炊いたスープは鶏手羽でとった。
茹で鶏はその身をむしったもの。

午後、6枚の原稿終了。
あとは翻訳作業。

夕食。
茹で豚とキャベツの蒸し煮(黒酢ソース)、飯蛸の酢味噌和え、新タマネギとかぶのサラダ、
ゆず胡椒風味のごぼうと大根のお味噌汁、雑穀ごはん(薬味におろししょうが)。
ヱビスビール。

飯蛸に猪口才な口ありにけり  中原道夫

アップルコブラーを焼く。
お酒はTokaji Aszu 5 Puttonyos。
到来物。おもいっきり冷やして飲んだ。おいしい。
これは極甘口のデザートワイン(貴腐ワイン)だが、ハンガリーの白には辛口ですっきりしたものが多い。

『メシアンによるラヴェル楽曲分析』を読みながら、ラヴェルの「クープランの墓」を聴く。
ジャン=イヴ・ティボーデの〈DENON〉盤。これ、日本で録音されたものなんだな。
知らなかった。

ラヴェルの《クープランの墓》は、「旋法的」、「古きフランス」、忘れられた舞曲、通俗的大衆的な主題、「素朴な歌」、しおれたバラといった悲しき物語(フーガの主題を思い出そう。主題はまるでトゥルバドールのシャンソンのように、悲嘆のため息で、切れ切れにされている)といった側面に関連している。ピアノのすべての音域をカバーする表現の中に、何と巧みな技術的な発想がなされていることだろう。
また、何と和声が探求されていることだろう。ある3和音のまわりを半音階的に上下する刺繍和音群。忘れてはならないことは、ラヴェルが控えめに包み隠そうとする興奮や感動を、固有7ないし9の和音(※副7ないし副9の和音)によって伝えようとしていることだ。それはまるで彼が絵画のかたわらにいて、足を踏み入れることを躊躇している城館の夢を見ているようだ。

井上忠せんせいの『根拠よりの挑戦』を読む。
40年ばかり前の本。すばらしい文体。こういう文体に出会えるとわくわくする。

就寝、3時予定。

The Two Cultures (26th Mar. 2012)

/ 2012年3月27日火曜日 /

起床、6時半。30分寝過ごしてしまった。今日もよい天気。

ぐーすか寝ているまありは放置し、支度をして、朝食もとらずに新幹線で大阪へ。
移動しながら、資料をみたり考え事をしたり。

まず吹田の叔父さんの家へ。
お参りをして、おばさんと少し話をする。
庭に沈丁花が咲いていて、良い匂いがした。

13時半に梅田で打ち合わせ。
Sせんせい、Dせんせい、Hせんせい、Tせんせいなどなど。
ついでに編集KM、HHほか。
Sせんせい以外は、初対面。Twitterではよく絡むのに、ものすごく緊張した。
対人スキル、コミュスキルがなさすぎる。
ほぼ方針が決まる。勉強になった。

16時すぎ、散会。
K書店に寄って、Oさんを訪ねる。挨拶してしばらく立ち話。
最近の大阪の本の売れ行き動向など。

新幹線でとんぼ帰り。
おにぎりを食べながら(今日初めて食べた固形物)、チャールズ・パーシー・スノーの『二つの文化革命』など。
半世紀前に書かれた、科学と人文学のディスコミュニケーションについて。
冷戦の影響が濃いが、このディスコミュニケーションがいたるところに偏在してしまっている現代。

われわれが知っている最高の教育を受けた人びとは、自分が主として抱く知的関心の分野では、すでにお互いに意思疎通ができなくなっている。これは、われわれの創造的生活、知的生活、とりわけ正常な生活にとって重大なことである。これによって過去を間違って解釈し、現在を誤って判断し、未来の希望を拒むようになるのだ。それは、われわれが適切な行動を起こすのをむずかしくし、不可能にする。
私は、このコミュニケーションの欠如の最もきわだった例を、私が二つの文化と名付けたものを代表する二群の人びとという形で示した。その一方には科学者を入れたが、彼らの重要さ、業績、影響はあらためて強調する必要もなかった。他方には文学的知識人を入れた。そのさい、私は文学的知識人が西欧の世界の主要な決定者として振舞っているといおうとしたのではない。私がいおうとしたのは人文系の知識人は非科学的な文化の風潮を代表し、それを口にし、ある程度それを形づくり、それを予言するということであった。そして彼らは決定者ではないが、彼らの言葉が決定を下す人びとの心に浸みこんでいるということであった。この二群、科学者と人文系知識人のあいだには、ほとんどコミュニケーションがなく、共感はなく、その代りにある種の敵意が存在している。

本人も自己批判しているところだけれど、この二分論自体はあまりに単純化しすぎているとは思う。
しかし、当たり前のことなんだけどフクシマ以降、こういう視点は重要ではある。
少なくとも、問題の一面はとらえている。

博多駅でまありと待ち合わせ。沖縄料理屋Dへ行く。
島らっきょうの酢漬け、もずくの酢の物、もずくの天ぷら、ふーいりーちー(車麩の卵炒め)、
ゆし豆腐(アオサと昆布だしで)、足てぃびち、そーきの煮つけ、赤うるめの燻製など。
〆はぐーじる(呉汁)とおにぎり。

帰宅してお風呂、メールなど。
就寝、2時予定。

Life Without Principle (25th Mar. 2012)

/ 2012年3月26日月曜日 /

起床、7時。終日、よい天気。
朝からシーツ類を洗濯して、昨日干しておいたシーツにはアイロンをかけた。

朝食、まありと。
シナモン多めのフレンチトースト、バナナのカラメルソテー、アッサム。

午前中、推敲作業。

昼食、ひとりで。
笹餅(黄粉ときび砂糖で)、茄子の味噌漬け、玄米茶。

午後、推敲続き。夕方にはなんとか終了。
響の薄いハイボールを飲んで、いい気分になって散歩に出かける。

蒲公英、連翹、菜の花、クコの花、水仙、パンジー、沈丁花、ハクモクレン、
彼岸桜、ナズナ、ハルジオン、母子草、ハコベ、山査子の花。

尼寺や彼岸桜は散りやすき  漱石

沈丁の香にひたりゐて過去は過去  上村占魚

たんぽゝと小声で言ひてみて一人  星野立子

よく見れば薺花さく垣ねかな  芭蕉

夕食、まありと(まありは自転車がパンクしたとかでちょっと遅くに帰宅した)。

きんぴら入りの豆腐ハンバーグ、ごぼうのきんぴら、フダンソウの白和え、
ポテトサラダ、レンコンのおろし汁、ご飯、ヱビスビール。

ポテトサラダはマッシュせずに角切りにする。
マヨだけでなく少しお酢と砂糖を足す。
おろし汁は味噌仕立て。

読書。エロマンガのほかにソローの『生き方の原則』など。

生計を立てるという大切な問題について、ほとんど、あるいはまったく思い浮かぶ書物がないのは驚くべきことです。私が言いたいのは、生計を立てることを、単に誠実で立派であるだけでなく、魅力的で光輝くするものにする方法についてです。というのも、もし生計を自ら立てるということがすばらしくないのなら、生きるということもそうでなくなってしまうからです。文学の方面を見ても、孤独な黙想にひたることをやめて、この根本的な問題に取り組むことがなかったのではないかと思われるほどです。それは、人々がこれまで経験してきたことにうんざりしてしまい語りたがらないということなのでしょうか。金銭的価値には限界があることを、創造主があれほど骨折ってわたしたちに教えようとしたのですが、どうやら私たちはきれいさっぱり見過ごしてしまうようです。生活の方法という重要なことについて、いわゆる改革者を含むあらゆる階層の人々が、それにまったく無関心だということは本当にふしぎなことです。彼らの生計の立て方は、相続だったり、稼いだり、盗んだりと、いろいろですが。この点では、社会という組織が私たちのために何かしてきたとは思いません。少なくともしたことを無にしてきました。私の体質には寒さと飢えのほうが、人々が寒さと飢えを防ぐためにとり入れたり勧めている方法などより、性に合っているようです。

盛口満氏の『シダの扉』。沖縄にはツクシが生えないと。知らなかった。

「そう言えば、山菜と七草っていっしょ?」
逆に、彼女たちから、そう聞き返された。言葉は知っているけれど、何が七草かわからない……と。
「だって、食べたことないし」
「七草粥のころ、給食でモズク雑炊とか出たことがあるけれど」
どうやら沖縄出身の学生たちにとって、七草というものは、海藻のモズクと混同されるほど、正体不明のものであるらしい。予想外の展開となったが、自分の中にある思い込みをあらわにするものである。七草なんて「あたりまえのもの」と思っていたけれど、「あたりまえ」は相対的なものであることに気づかされる。

就寝、2時半予定。

Morandi (24th Mar. 2012)

/ 2012年3月25日日曜日 /

起床、6時。晴れ時々くもり。

朝食ぬき。
まありもゆうべなにかお菓子を食べて胃がもたれてるというので。

掃除、洗濯など。

この家のきれいに磨かれし鍋たちがいいだろ俺たちと重なってゐる  河野裕子

午前、翻訳仕事。
もくもくと。

昼食、まありと。
そば粉のガレット。フィリングはトマトソースとパルミジャーノ。
お腹がぐうべこなまありにはボックヴルスト2本。ドイツ風にカレー粉をふってやった。
カリーブルストやね。
ハイネケンをふたりで分けて飲む。

午後、翻訳続き。早い時間にほぼ終了。
明日、推敲予定。

散歩がてらKに。
途中でもぐらの掘った跡を見かける。何年ぶりだろう。こんな街中にもいるんだな。

掘りすすむときの楽しさを思うなり春のもぐらが盛り上げし土  佐佐木幸綱

コーヒーとベリータルト。
ここでもちょっと校正仕事。
さくさく終わらせて買い物など。

夕食、まありと。
いんげん豆ともち豚のカスレー、焼きトマトのマリネ、春菊と生ハムのサラダ、バゲット。
ワインはChateau Pujols 2008。

カスレーはひさしぶりに圧力鍋を使ったけれど、いまいち。
やっぱり時間をかけて煮たものにはかなわない。味の浸潤が弱い。
なにより、まありに指摘されるとか、かなりな敗北感。
ワインはFer種という聞いたことがない品種40%、あとはシラーとか。
ミディアムな辛目、タンニンがやわらかいから魚で合わせていいかも。値段は1000円くらいでCP高い。

七輪でうるめいわしの一夜干しを焼く。
オリーブオイルをかけて、ワインと合わせる。
ついでにパプリカも。

日野草城のこんな句。

火の色の透りそめたる潤目鰯かな
一合を愉しむ潤目鰯かな


レモンハートを飲みながら読書。
新人物往来社『怪奇幻想の文学』第6巻。
フローベールの「ジュリアン聖人伝」ほかイェレミーアス・ゴットヘルフ、デ・ラ・メア、ダンセイニ卿、
アナトール・フランス、ゴトフリート・ケラー、ロセッティ、ラム、マクラウドなど。

岡田温司・編訳『ジョルジョ・モランディの手紙』。
画集と一緒に。

わたしたちが実際に見ているもの以上に、もっと抽象的でもっと非現実的なものは何もない、とわたしは信じています。私たちが人間として対象世界について見ることのできるあらゆるものは、わたしたちがそれを見て理解するようには実際には存在していないということをわたしたちは知っています。もちろん、対象は実在するのですが、それ自体の本来の意味は、わたしたちがそれに付随させているような意味ではありません。コップはコップ、木は木であるということしか、わたしたちは知ることができないのです。

就寝、2時予定。

Pallati i ëndrrave (23rd Mar. 2012)

/ 2012年3月24日土曜日 /

起床、7時。終日、雨。

朝食、まありと。
ハムエッグ、カボチャのポタージュ、スコーン、ダージリン。

午前、翻訳仕事。
かなり集中してやった。予定的には2日ほど遅れているので、ペースを戻したいのだ。

昼食、ひとりで。
(昨夜作った)オールバターショートブレッド、リンゴ、ダージリン。
1日経つと、味がこなれてくる。さっくり感はなくなるんだけど。

午後、翻訳続き。
本とレコードが大量に届くけれども、これを消化する時間はあるんだろうか。

夕食、まありと。
タットリタン(骨つき鶏もも肉とジャガイモの唐辛子入り煮物)、春菊のナンプラー和え、
蕪の葉のナムル、もやしのナムル、ごはん。

タットリタンにはヤンニョムの類は使わない。
鶏の骨から出汁がでるから。唐辛子と塩、にんにく、少しの醤油だけでよい。
(逆に、骨つき肉でないときは、醤の類を入れないといけないだろう)
粗挽きの韓国産唐辛子粉を使う(国産では辛すぎるうえに、唐辛子の香りが薄い)
お酒はまありに適当に買ってきてもらった「唐草まっこり」。
ラベルがかわいい。しかも飲みやすい。福岡で作ってるお酒。

0時頃まで仕事をしながら、顔本とTw本垢、Tw複垢をうろうろ。
しかし、それでもだいぶ仕事はすすめられた。

読書。イスマイル・カダレ『夢宮殿』。
国民の夢をすべて記述し、解釈、管理、保管する国家の話。

「ここにはね、すべてがあるんだ」と、署員は歩度をゆるめながら言った。「ぼくがなにを言いたいのか、わかるね。もし地球がいつか消滅しようとも、たとえば地球が彗星と衝突するようなことがあっても、粉々になっても、蒸発するか、それともたんに深淵の夜に沈むかしても、つまりファイルが詰まったこの地下室を残して、わが地球があとかたもなく消え失せようとも、いいかね、この地下室さえあれば、地球がどういうものだったか理解させるのに十分だろうよ」所員は自分の言葉が効果を及ぼしたかどうか確かめたかったのか、連れのほうを振り向いた。「なにを言いたいのか、わかるかね。いかなる歴史も、いかなる百科事典も、そればかりかあらゆる聖なる書物や大学や図書館にしたって、この〈文書保存所〉から発するほど凝縮した仕方でわれわれの世界の真実を提供することはできないのだ」

夢を管理し集積することにより生まれる権威、権力。
アウシュビッツとは正反対のベクトルだが、その空虚さは計り知れない。
「バベルの図書館」は世界そのものであり、そこに「保存」という観念はないが、
この『夢宮殿』では、保存のために世界の秩序が要請され、
それゆえに夢解釈の結果が危険だと見なされれば、人間は殺される。
夢を生産する人間が、その夢ゆえに殺される世界。

アーカイヴと権力の関係。
そもそも人間の認識は最初から歪んでいるのであって、それゆえ、その歪みも保存する。
屹立するアーカイヴ、聖なるゴミ捨て場。

就寝、3時予定。

Glimpses of unfamiliar Japan (21st Mar. 2012)

/ 2012年3月22日木曜日 /

起床、6時半。
起きてすぐに、前日の推敲作業。
まありは早くでかける。友だちとお粥を食べに行くとか。

10時近くまで推敲作業。終了。送信。
散歩がてら買い物に出かける。
コンビニでマスターキートンの新作を立ち読み。

おそめの朝食、ひとり公園で。
ツナマヨおにぎり、おーいお茶のホット。
梅、桃、レンギョウ、春蘭、ホトケノザ、つくし、椿、水仙、辛夷、ナズナ、スズシロなど。

プロットをいじっているうちにお昼。
なんだかリズムが悪いけれども、買ったばかりのパンでサンドイッチ。

昼食、ひとりで。
胚芽パンのサンドイッチ(チーズとハム、塩もみきゅうりの2種)、キームン。

胚芽パンにはバターがよく合う。マヨよりはバター。
塩もみきゅうりとバターの組み合わせが好き。これを作るときは高いバターを使ったほうがいい。
きゅうりはサンドイッチ1個につき1本使ってみた。
それ以上使ってもいいくらい。きゅうりをスライサー使って、薄く薄くスライスするのがコツ。

昼食を食べながら、Space Circusのアルバムを聴く。驚倒。おそるべし。

午後、執筆。
原稿(30枚)を書いていると、イチゴの到来物。
かなりな量なので、明日なんとかしなくてはならない。
とりあえず練乳をかけて食べてみたり。甘くておいしい。

夕食、まありと。
ポークソテーと筍のグリルとマッシュポテト、ニンジンとモロッコインゲンの蒸し煮、
マンハッタンクラムチャウダー、ホウレンソウと春キャベツと松の実のサラダ、胚芽パン。
デザートにイチゴのジュレ寄せ。
ワインは「Codorniu Classico Rose」。

ポークソテーはローズマリー、ニンジンとインゲンの蒸し煮はタイムで香りづけ。
マンハッタンクラムチャウダーにはトマトペーストとパプリカ。
サラダにはパルミジャーノと黒胡椒とバルサミコ酢。

ワインはスペインの辛口カヴァ。
苺やシトラスのフレーバー。みずみずしい。安いわりに美味しい。
辛口だけど、デザート食べながら飲める気がする。

また七輪を焚いて、ベランダでしばらく読書。
ポリーニによる、ショパンの「練習曲集」を聴く。
過剰な感情表現を配した、ドライで力強い演奏。

『ロープシン遺稿詩集』を読む。
唯物論とロマンティシズムの関係について。

マロニエの葉が ざわめき
街頭は またたき 酔いしれ。
誰かが 音もなく通りすぎる・・・・
血の気の薄い 蒼ざめた人々。
月のない 都の夜、
むしあつい 夜の沈黙(しじま)に、
きみの むせび泣き。
そしらぬ顔で
マロニエの葉は ざわめき
街頭は またたき 酔いしれ・・・・
罪もないのに ぼくは
言いわけばかり探している。

ラフカディオ・ハーンの『日本瞥見記』。
本来なら視覚が優位性を持つべき場面で、ほかの感覚(聴覚や嗅覚)が頻繁に挿入される。
たとえばこんなふうに。

松江で、朝寝ていると響いてくる最初の物音は、ちょうど枕につけた耳の下に、どきんどきんと大きく、ゆっくりと波打って聞こえる、あの心臓の脈搏に似た音だ。それは、大きく、しずかに、なにか物を打つような鈍い音であるが、一定の間隔を置いたその規則正しい間と、どこか奥深いところから洩れひびいてくるようなその感じと、聞こえるというよりは、むしろ、知覚するという程度に、枕にかよってくるその響きぐあいとが、心臓の鼓動にまことによく似ている。この音は、ほかでもない、米を搗く太い杵の音なのだ。・・・この音は、日本人の生活のなかにあるあらゆる物音のうちで、ことに哀れ深いもののように、わたくしには思われる。じっさい、この音は、日本の国の脈搏の音だ。
この杵の音のつぎに、洞光寺という禅宗の寺にある大きな釣鐘の音が、町の空にひびきわたる。これが鳴ると、つづいてわたくしの家のじき近くの、材木町にある小さな地蔵堂から、朝の勤行を告げる寂しい太鼓の音がきこえだす。やがて、いちばんあとから、早出の振り売り八百屋の呼び声が「ダイコ(大根)やい! カブ(蕪)や、カブ!」、それから、炭をおこす焚きつけの木を売りにくる女の哀れっぽい声が「モヤや、モヤ!」と呼んでくる。

異国にきたら緊張するのが普通だろうに、松江はハーンにものすごい安心感を与えているらしい。
全身をリラックスさせ、全感覚を使いこなしているハーン。
ハーンの「生活世界」の根っこには、近代的科学観とは別のロジックを感じる。
つまり視覚(数比)を認識の柱にしない精神のありよう。

就寝、3時半予定。

For Tomorrow (20th Mar. 2012)

/ 2012年3月21日水曜日 /
起床、7時。
すぐに先日の仕事の推敲、送信。

朝食、抜き。
まありにはオートミール、リンゴ、ヨーグルト。

午前中、家事。
洗濯、お風呂場、キッチン、部屋の本を整理、ベランダの窓を拭いた。

プロット。断片的に書く。

昼食、ひとりで。
オリーブとルッコラのスパゲッティーニ、コーヒー。
ルッコラがずいぶん多め。

午後、翻訳仕事。終了、明日推敲。

夕食、まありと。
じゃがいもとアサリのポルトガル風蒸し煮、小松菜のオイル蒸し、茹でブロッコリーときぬさやのサラダ、バゲット。
ひさしぶりにギネス。

ポルトガル風蒸し煮には厚めに切った豚肩ロースを焼いて投入する。
アサリと豚ってのは実は相性がいい。
小松菜はオイルと塩、唐辛子のみ。
サラダにはオニオンはちみつドレッシング。生のすりおろし玉ねぎとにんにくを使うんだけれども、
はちみつを使うと玉ねぎの臭いと風味がやわらかくなる(ただし、にんにくは控えめに)。

昨日のコンポートの残りを食べながら、白州18年をストレートで。
副垢で原発の話など。
疾しさには絶対に屈しないということ。
それがロマンチシズム、ヒロイズムの類であっても恥じることはない。

読書。
川村二郎の『アレゴリーの織物』など。

就寝、2時半予定。

Un Rude Hiver (19th Mar. 2012)

/ 2012年3月20日火曜日 /
起床、7時。

朝食、まありと。
ホットケーキミックスで作った甘納豆入りの蒸しパン、バナナ、ホットミルク。

スカイプ会議。
フクシマについてのアンソロジーに寄稿できることになった。まだ企画段階ではあるけれど。
ようやくきちんと書ける。
この世界にはいたるところに政治があり、闘わねばならない。
既成事実をつみあげつみあげ、やっとここまできたわけだ。
1年をかけて。
こんな苦労をするなんて、物書きになる前は想像だにしなかった。
自由に好きなものを書き食っていけるもんだと信じていたのに。
こういうの、たぶん詩人には理解できないだろう。
書くという行為の意味するところがこれほど違うとは。同じ物書きなのに。
わたしが嫉妬するのは、その安逸な姿勢だ。
死に向かうどうのこうの、苦しみに向かうどうのこうのなんぞ、そんなパーソナルなこと以前の問題だ。

会議のあと、次作のプロットをいじる。

昼食、ひとりで。
朝の蒸しパンの残り、干柿のラム酒漬け、キームン。

ジョゼ・サラマーゴの話をTwitterでしながら、4枚。
1時間もかからず終わった。

散歩と買い物。
茅花、はんの木、土筆、菫、オオイヌノフグリ、菜の花、椿、桃、水仙、黄水仙、蒲公英、
辛夷、色とりどりのチューリップ(とくに淡いピンクで八重咲きの)。

はんの木のそれでも花のつもり哉  一茶

白紙に土筆の花粉うすみどり  後藤夜半

大藁家辛夷がくれになき如し  富安風生

公園のベンチでよもぎ餅を食べながらお茶。少し読書。

草餅の草より青き匂かな  春和

草餅や二つ並べて東山  角田竹冷

夕食、まありと。
筍と鶏肉の古高菜漬け鍋、ブロッコリーの炒めもの、三つ葉と湯葉の花椒油サラダ、
ザーサイとネギと溶き玉子のスープ、ごはん。
日本酒、「睡龍」純米吟醸。古酒ではないのに、かなりボリュームがあるお酒。
デザートはリンゴと棗の氷砂糖煮。

まありとベランダで、毛布をぐるぐる巻きにして読書。
七輪でからすみ焼いたり、餅を焼いたり、うるめの丸干し焼いたり、
お湯をわかしてラムや響12年のお湯割りを飲んだり。
0時近くまで外で読んでいた。レーモン・クノー『きびしい冬』など。

「ぼくはあの人が好きです。けれどひと月もたてば、この恋は死んでしまっているでしょう。跡形もなく焼きつくされてしまっていることでしょう。ぼくたちは別れ別れになって、お互いを見失ってしまう。そしてなにもかもが終わりになる。どこかで火の手があがったんです。その火はまたたくまに燃え広がり、出会うものをことごとく焼いていく。結びついていた二つのものも、その継ぎ目の金属が溶けてしまいます。もとから一つだったもの以外は、ばらばらになって崩れ落ちてしまうんです。どうでもいい卑金属はすぐに溶けてしまいます。けれどもそうでないものは強く鍛えられるでしょう、おそらく。これはね、大火災なんです」
「そうね」テレーズは呟いた。
「そして後に残るものは、黒こげになっただだっぴろい森。そこにはもう鳥たちが戻ってくることはありません」
なんて美しいのだろう、なんて悲しいのだろう。テレーズはため息をついた。鼓膜を震わせた振動が子宮にまで伝わっていくのが感じられた。
ベルナールを見ることができなかった。

就寝、3時半予定。
そういえば「みなみけ」4期決定したという未確認情報が。

High Score Girl (18th Mar. 2012)

/ 2012年3月19日月曜日 /
起床、7時。雨のち晴れ。

朝食、お客さんたちと。
トースト、スクランブルエッグノッグ、ベーコンとソーセージのグリル、蕪と人参とキャベツのピクルス、コーヒー。
みなでプリキュアや偽物語を見たり、のんびりした日曜日。

11時頃、小娘軍団が帰って行った。
どうやらカラオケに行くらしい。
まありが大阪行き以来不調だったので、いい気晴らしになったとは思う。

昼食、なし。
午後、仕事。昨日の仕事推敲、脱稿。
ほかに15枚。

夕方、買い物に。筍など買う。すぐに茹でた。
雨上がりの街、菜の花が満開、空き地に土筆。

あたたかな雨が降るなり枯葎  子規 
春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏  芭蕉

山椒をつかみ込んだる小なべかな  一茶

つくつくし摘々行けば寺の庭  野梅

菜の花の明るさ湖をふちどりて  年男

夕食、まありと。
鱈の西京焼、厚揚げとかぶの葉の炊合せ、筍姫皮の甘酢あえ、わさび花のおひたし、
蕪の浅漬け、わかめと麩のお吸い物、ごはん。

加賀鶴ブランデー梅酒のソーダ割り。
竹葉・能登大吟を冷やで。肴は到来物のぶりかげを焼いて。

チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」、カラヤン×ベルリンフィルをグラモフォン盤で。
ほかに数枚のハウスEP。

押切蓮介の『ハイスコアガール』に仰天する。これはすごい漫画。
鳴子ハナハル『かみちゅ!』もすさまじい画力。
そのほか高樹のぶ子新刊、竹井10日のラノベだの。
上山春平初期の『弁証法の系譜』をなんとか最後まで。難しい。

就寝、3時予定。

Schachnovelle (17th Mar. 2012)

/ 2012年3月18日日曜日 /
起床、7時。雨が降ったりやんだり。

朝食、まありと。
トースト、ヨーグルト、コーヒー。

まありが出かけたので掃除。
そのあと、原稿6枚。

まありが昼すぎに帰宅。友人たちを5人連れてくる。
事前連絡なし。しかも泊めてくれくださいとのこと。
これで午後の仕事の予定が吹き飛んでしまた。

だらだらと小娘たちと話をしながら、遅くに昼食。
たらの親子雪鍋、青ねぎとさつまいものかき揚げ、山芋の揚げ煮、
牛肉とクレソンの山椒の実あえサラダ、甘鯛とからすみの炊き込みご飯。
備蓄していたヱビスビールを放出。ビール飲めない子にカンパリオレンジ。

山芋の揚げ煮は、山芋を素揚げして、かつお出汁、濃口醤油、砂糖、みりんで汁気がなくなるまで煮る。
香頭に針柚子。

小娘たちがリヴィングでWiiをしたりして騒がしいので仕事をあきらめる。
部屋で読書したり、部屋を出て小娘たちと話をしたり。
ずっとビールを飲んでいた。

遅くに夕食。
豚レバーと玉ねぎのステーキ、帆立貝の牛肉巻きグリル、あさりとカリフラワーとコンキリエのグラタン、
鯖とトマトのグラタン、海老とレンコンのパエリヤ、ボッタルガソースのニョッキ、
生ハムとモッツァレラのサラダ、アスパラガスと鶏胸身の玉子サラダ、人参のコンソメスープ、
ヤイラ・チョルバス(トルコ風お米のヨーグルト味スープ)、ガーリックトースト、バゲット。

豚レバーのステーキはフィレンツェ風なオリーブのソース。
帆立貝の牛肉巻きは粒マスタードソースとエキストラヴァージンオイル+タバスコのソースと。
鯖とトマトのグラタンはフェンネルを使ったり。
とにかく全力。ひとり料理がうまい子がいて手伝ってくれたので助かった。

ビールはヱビスとハイネケン。飲めない子にジントニックだとか。
ほかに、Remole Frescobaldi 2009、Curtefranca Bianco Bellavista 2008、
Moscato D'asti Massolino 2010。

さらにリンゴのタルト、あつあつのミルク・フラン。
加賀鶴のブランデー梅酒など。

深夜まで小娘たちは騒いでいた。
わたしは自室で落ち着かないまま読書。
シュテファン・ツヴァイクの『チェスの話』など。
「蘭亭」をお湯で割って飲む。

就寝、4時予定。

De helaasheid der dingen (16th Mar. 2012)

/ 2012年3月17日土曜日 /
起床、6時。終日雨。
いきなり吉本隆明死去の報。

朝食ぬき。
まありには昨夜の本二鶴穴子棒寿司とお味噌汁の残り。

午前中、翻訳仕事。

昼食、ひとりで。
春キャベツと桜えびのお好み焼き。

午後、引き続き翻訳仕事。
15時すぎには推敲まで終わる。送信。

買い物。キンカン、蕨、土筆など。
さっそくキンカンを煮たり、蕨のアク抜きをしたり、レーズンとクルミのサブレを焼いたり。

夕食、ふたりで。
根菜と牛ひき肉の重ね蒸し、土筆の玉子とじ、蕨のマヨネーズ胡麻和え、
アスパラガスとからすみのサラダ、蕨のお味噌汁、ごはん。プレミアムモルツ。

どうもまありはわたしの部屋でくつろぐことを覚えたようで困る。
夜、わたしの書斎でぐだぐだしてるし、布団まで持ち込んでいる。
ただでさえ狭いし、仕事もできない。

夜はずっと読書。
ベルギーの作家ディミトリ・フェルフルストの『残念な日々』など。


秋のことだった。といってもぼくたちは年がら年中、酒を飲んでいたので、このようなぼくたちの人生の話をするときに季節は関係ないのだが。それでも木々の葉が枯れて散っていくとき――自然のすべてが芸術の法則に従い、人の気を惹いて死んでいくとき――には、死はよりいっそう、はっきり存在しているように思われる。その夜、木々がまるでチアリーダーのように頂をはためかす音が聞こえた。風は遠くから、気を滅入らせるような考えを運んできた。ちょうど家畜を屠る時期が終わったところで、手たちは自分がこの冬を越せること――また隙間風の吹く小屋に立つことを許されたこと――を知っていた。もっとも悲しげな牛たちは骨付き肉になってしまった子牛の運命を嘆いてサイレンのような声を上げていた。あの夜、パトカーの葵ライトがあれほど美しく寝室の壁紙に映ったのはそのためだ。まるで神々しい降り付け(コレオグラフィー)のように見えたのだ。)

あおやまシードルのドライ、冷凍庫でがちがちに冷やしたフィンランンディアなどをぐびぐび。
白秋18年の封を間違って切ってしまって飲んだり。
音楽もまともに聴かないというのは堕落である。
やはり誰かの体温を近くに感じていると、それだけで安心してしまってすぐにさぼってしまうのだろう、わたしは。

せめてもう少し本を読んで寝る。
就寝、2時予定。

Morning Glory (15th Mar. 2012)

/ 2012年3月16日金曜日 /
起床、7時。大阪3日目。晴天。

夢。
自室。もうひとり誰かが目の前の椅子に座っているが暗くて顔が見えない。
しかし親しい人物であるらしい。わたしはリラックスしている。
足元に真っ黒いムカデがいる。10cmほどで体の半分が切れ、尾の部分が残っている。
動いていない。死んでいるようだ。気持ちが悪い。
スリッパで叩いてみるが、動かない。
革製の手袋をしてつまもうとするが、うまくいかない。
仕方なくハンカチごしにつまみあげる。感触が気持ち悪い。
突然ムカデは動き出す。尾部の毒針をわたしにむける。驚いてムカデを放り出す。
そこで目が覚めた。変な汗をかいていた。

ホテルで朝食。
スクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、ヨーグルト、トースト、コーヒー。

心斎橋でまありの買い物に付き合う。
・・・というつもりが、自分の買い物もしてしまう。
まありはジル・スチュアートとA.P.C.で服、
わたしはTOCCAとA.P.C.で服を、m0851のバッグ。

昼食。
「甲賀流」のねぎぽん。

15時半の新幹線に乗る。読書。
山内昌之『中東 新秩序の形成』。イラン問題が鍵であると。同意。


イランがイスラエルと湾岸諸国に複合的な報復を加えるなら、アメリカは第四次中東戦争のときのようにイスラエル支援に乗り出さざるを得ない。しかも、本文でも詳述するように、それは中東を複雑な「文明間戦争」が展開されるハルマゲドンに変えかねない。そのとき、イランとかイスラエルはともかく、アラブ諸国も甚大な被害と犠牲を出すことになる。「アラブの春」に始まった中東民主化の試みは頓挫し、アラブの古典的権威主義や革命的全体主義が息を吹き返す可能性が高い。

ジャスミン革命の次に問題となってくるのは、「地域帝国」化を目論むイランとイスラエルの対立となるだろう。
そして現在進行中のシリア問題も、イランとリンクしているわけだ。

19時帰宅。
お風呂、そして夕食。
本二鶴の茶巾寿司、穴子棒寿司、豆腐となめこの赤だし。
さすがに美味しい。

『交響詩篇エウレカセブン』のウェブ放送を見る。
チャールズとレイのエピソード。
わたしは『エウレカ』を見てずっと、いつかメロドラマを書きたいと思い続けていた。
なかなか果たせない。

まありが一緒に寝たいと言う(お風呂に一緒に入りたがった)。
いまもそこにいて本を読んでいる。
まありにとってお葬式は2回目だし、心細いのはわかる。
気持ちはわかるけれども仕事ができないじゃまいか。

たぶん、就寝は2時くらいになるだろう。
もう少し本を読んで寝る。

Fenni (14th Mar. 2012)

/ 2012年3月15日木曜日 /
起床、6時。昨日に引き続き大阪。終日晴天。

ホテルで朝食。まったく食欲がないのでおかゆとお味噌汁だけ。

7時半にはまありと出かける。ラッシュに揉まれながら吹田へ。
喪服に着替えてお葬式の手伝い。密教の勉強をしていたのに真宗ってのがなんだかな、と思う。

あっという間に葬儀は終わり、午後からマイクロバスに乗って火葬場へ。
お煮しめのような精進料理とおにぎりは用意してあったけれども、わたしは食欲がない。
ずっとお酒をちびちび。
終始まありも無言。いろいろ考えるんだろう。わたしだっていろいろ考える。

わたしだけ骨あげ。真っ白なプラスチックのようなお骨。
澁澤龍彦の『高丘親王航海記』の最後のシーンを想起する。

吹田に戻り、後片付けを手伝い、何人かの親類とメールアドレスを交換したあと
17時ころホテルに戻った。
ふたりともぐったり。しばらくまありは寝て、わたしは校正仕事を終える。

あと1泊することにしていたので、ふたりで夕食を食べに外出。
難波、法善寺横丁のK。おでん。
大根、手羽先、銀杏、トマト、厚揚げ、こんにゃく、タコ、ひろうす、しいたけ、巾着、玉子などなど。
日本酒は九平次、松の司など。なんだかんだいろいろ食べていろいろ飲む。

死についてまありと話をする。
たしかに死ってのは人間を規定する大事なことだ。
というか、そのくらいしかわたしにもわからん。

Sでワイン。
Morey Saint Denis 1er Cru Cuvee du Pape Jean Paul II 2002
カシスの香り、なめし革みたいな動物性の香りもする。
イノシシ肉と乾燥茸の煮込みとか。モリーユとセップ。おそらく今年最後のジビエ。
ほかにフォアグラのテリーヌなど。

ホテルに0時頃戻る。ほんとうに疲れた。まありは轟沈。
ぱらぱらっと読書。
トナカイはベニテングダケを好んで食べるが、体内で一部の毒は中和され幻覚物質がとして排泄される、とか。
そこで北欧のサーミ人はトナカイの尿を飲み、魂を浮遊させる儀式をしたとか書いてある。
ほんとなんだろうか。

就寝、1時半予定。

Sej trud, shto nachinal ja supavan' jem (13th Mar. 2012)

/ 2012年3月14日水曜日 /
起床、5時半。終日晴天。
早朝からスケジュール変更について謝りのメールなど。

はやめの朝食。まありと。
こんにゃくのきんぴら、納豆、焼き海苔、カブのお味噌汁、セリごはん。

午前中、仕事4枚。

はやめの昼食。まありと。
こんにゃくのきんぴら、お味噌汁、セリごはんのおむすび(朝食の残り)。

まありと新幹線で大阪へ。叔父の通夜と葬儀へ向かう。
移動中はずっと読書。エーコの『もうすぐ絶滅するという神の書物について』。


インターネットはすべて与えてくれますが、それによって我々は、すでにご指摘なさったとおり、もはや文化という仲介によらず、自分自身の頭でフィルタリングを行うことを余儀なくされ、結果的にいまや、世の中に六〇億冊の百科事典があるのと同じようなことになりかねないのです。これはあらゆる相互理解の妨げになるでしょう。


「諸文化は、保存すべきもとの忘れるべきものを示すことで、フィルタリングを行な」う。
この誤りすら含めた「暗黙裡の共通基盤」が、
すなわち「共通の百科事典」が、対話や創造を保証しているのではないか、とエーコは言う。
あらゆる思想や知識に、あらゆる時間軸に、なんら制限を受けずにアクセスできるということ。
それを引用し、参照し、主張を展開することが、はたして対話の有効性を保証できるのか?
そう、エーコは問う。

ネットについてのあれこれから、本そのものをめぐる話へ。
電子書籍と紙の本について、記録としての本について、本と記憶について、
忘れ去られる本、読まれなかった本、もしくは書かれたことのない本について、
本とはそもそもなにかということについて、本を書いた者どもについて、
本を書くという精神について、本に書かれていることについて、
宗教と本について、検閲と焚書について、
本を集めることについて、死んだあとの蔵書について。

本には2種類あると主張する人たちがいますね。つまり、誰が書いたかが大事な本と、誰の持ち物だったかが大事な本です。

過去についての我々の知識は、馬鹿や間抜けや敵が書いたものに由来している。

電子書籍は、書物それぞれが持つ固有の物語を剥奪する。
図書館に寄贈される故人の蔵書、古書に引かれた傍線、朱書き、落書き、読了記念の署名。
そういったものだって、本の属性なのだ。物神としての本。
読みながら、楽しくて時間を忘れた。ありがとう、エーコ。

新大阪のホテルに荷物を預け、吹田へ。
吹田には伯父叔父伯母叔母従姉妹従兄弟がけっこうそろっていた。
ほとんど10年ぶりの親類もいる。近況を伝える。
まありなど、亡き叔父とは2度ほど、しかも小中学の頃に会ったっきりなはずだ。

通夜の手伝い。
亡き叔父の部屋を少し見せてもらう。相変わらず密教の本が多数。
建築事務所で働いていた叔父が、なぜこれほど密教の勉強をしてたのかしらない。
オクスフォードのサンスクリット辞典には笑った。
CDラックにあったシュニトケの無伴奏合唱曲をぼんやり聴く。

20時すぎにホテルへ戻る。
通夜の席では、少しお寿司をつまんだ程度だったが、
まありはコンビニで買ったおにぎりを2個食べると、すぐに寝てしまった。

わたしはPCと本を持ってバーMへ。
チョップド・ニソワーズ・サラダ、生ハム盛り合わせ。
Snoqualmie Vineyards 2009 Chardonnayなど。
午前中書いた原稿の推敲など。
そろそろホテルに戻るとしようか。

就寝、2時半予定。

Imam Bayildi (12th Mar. 2012)

/ 2012年3月13日火曜日 /
起床、7時半。終日晴天。

朝食。まありと。
塩むすび、昨夜の残り物のマリネとお味噌汁。
朝からシーツに3枚アイロンをかけ、翻訳仕事。

昼食。ひとりで。散歩先のLで食べる。
鶏のシソ巻天ぷら、ポテトサラダ、アスパラガスの胡麻和え、
叩きキュウリと塩トマトのじゃこ和え、菜の花のお味噌汁、ご飯、塩昆布。
デザートにさつまいものパウンドケーキ、コーヒー。

午後、Lのテラスで推敲作業。そのまま送信。
買い物をして帰宅する。

夕食。まありとふたりで。
テキルダー・キョフテシィ、メネメン、ドマテス・チョルパス、
イマーム・バユルドゥ、フライドポテト、バゲット。
アルコールはラクのソーダ割り。

キョフテはいつものように七厘で焼いた。炭火で焼かないと美味しくないし。クスクス入り。
メネメンはひき肉と青唐辛子入りのオムレツ。ドマテス・チョルパスはトマトスープ。
イマーム・バユルドゥは茄子の冷菜。揚げた茄子に玉ねぎの詰め物をして白ワインで煮、冷やす。

ずっとラクを飲みながら読書。今日は音楽をまともに聴かなかった。
『ココロコネクト ユメランダム』が素晴らしい出来で驚いた。すばらしい。
青木正児の『琴棊書画』もいままで読んでなかったのが悔しいくらい。
例の「苦みの箇所」はここ。


動物質の食物で最も苦いのは鮎のウルカであろうが、あれは口中の臭気を取る薬品と心得る。ちと下卑たところで、サンマの臓腑の苦みを嗜むという人もある。しからばあのようなものを嗜む人々のために二千年以前の中華苦味料理を伝授しよう。それは『楚辞』大招篇に見ゆるところの「苦狗」と曰う料理で、漢の王逸の註によると、それは「胆和」として胆臓(けだし犬の)を醤(味噌)に和ぜた物を、犬の肉に附けて食うのであるという。今の世のいか物食いの徒、能く食うや否や。


ウンベルト・エーコの対談集『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』を読みながら就寝しようと思う。
無類に面白いのだけれど。

就寝、3時予定。

311 (11th Mar. 2012)

/ 2012年3月12日月曜日 /
起床、8時半。終日晴れ。

朝食なし。
わたしは朝から安物のワインを飲みながら、
朝から洗濯をして、掃除機をかけ、トイレとお風呂場とキッチンを磨いて、冷蔵庫を掃除して。
まありは二日酔いで部屋から出てこない。

昼食。ひとりで。
キャベツのオレキエッテ。
キャベツの水分だけで無水調理する。ブイヨンの類も入れないので、そのぶんキノコ類を入れるとだしが出る。
今日はシメジとマイタケ。
キャベツもオレキエッテもやわやわにしたほうがおいしい。

ビールやウィスキーを飲みながら、本を読んだり、レコードを聴いたり。
14時46分に、街中にサイレンが鳴り響いた。
1年前のことを考える。
夕方になってまありが部屋から出てきた。

夕食。まありとふたりで。
鶏のバリバリ揚げ、煮奴、根菜類の和風マリネ、大根と南関揚げのお味噌汁、大根ごはん。
マリネは、ペコリス、かぶ、人参、しいたけ、パプリカ。
大根ごはんは昆布だしで、お揚げも入れて炊く。
案の定、まありは鶏のから揚げを食べることができなかった。

響17年、「蘭亭」というもらいものの紹興酒を飲みながら、音楽や読書。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番と第2番。若いころ(1950年代)のグールドの演奏。
とくに第2番はバーンスタインと手勢コロンビアSOとの演奏。
まさに疾走というべき演奏。

『歴史としての3.11』(河出書房新社)。、
最後の最後に、不可視委員会の『来たるべき蜂起』からあとがきが収載されててびっくりした。

社会のあらゆる局面において、すでに内戦が開始されていることを知るべきだろう。

もとより戦争とは、敵の殲滅と味方の保存の実行にほかならない。敵である社会はわれわれの抹殺を目論んでいるのであり、われわれは搾取や収奪の対象ですらない。だから放射能の拡散の放置は、けして国家の機能喪失によるものではない。それは社会からのわれわれに対する宣戦の布告である。この内戦=社会戦争においては、ひきこもりから軽犯罪まで、あらゆる情動による犯行は支持されなくてはならない。なぜ反原発という主題が人々を立ちあがらせているのか? 答えは明らかである。殺されたくないからである。そして誰が殺すのかを見きわめるのに多くの説明はいらない。反原発右翼や新自由民主主義者たちは、この内戦状態を社会的なものの防衛へとみちびこうとするだろう。叛乱は運動へと組織されていくだろう。だが、われわれは想い起こさなければならない。生権力と人種主義と戦争は同時に発生し、原子力権力をもってその極限とするといわれてきたことを。こうして内戦のなかに内戦が生まれ、社会戦争の分岐ははてしない。そこでは「政治は戦争の延長である」といっても「戦争は政治の延長である」といっても同じことである。


ほかにジャン・ドリュモーの厚い本、『ココロコネクト』シリーズなど。
まどマギの設定資料集がすごかった。これあと5冊出るのか・・・

就寝、2時半予定。

Traite des Animaux (8th Mar. 2012)

/ 2012年3月9日金曜日 /
起床、8時。終日曇天、日中ちょっと雨。
昨夜遅くまでHと電話で話し込んでいたので、ずいぶん寝過ごした。

朝食。ひとりで。
ブッセ、アッサム。ブッセのフィリングはホイップクリームと苺のジャム。

午前中、校正2つ。メールを2通。

昼食。ひとりで。
マグロとアボカドのづけ丼。

午後、ごく簡単な翻訳仕事1本。こんなの、わたしじゃなくてもいいだろうに、と内心おもた。
あとはプロット作成の続き。調べもの。

夕食。まありとふたりで。
海老入り水餃子、マグロのあぶり焼きと玉ねぎのサラダ、
小松菜の中華風オイル蒸し、筍のマリネ、玉子スープ。
(ご飯はなし。餃子にはご飯はつけないものだ。)
アルコールはヱビスビール。

水餃子は酢醤油かオリーブオイルで。
薬味はペニンシュラのXO醤、ラー油、ニンニクすりおろし、生姜すりおろし、柚子胡椒、黒胡椒。
強力粉で皮から自作した。蒸し餃子も作ろうかと一瞬思ったけどめんどくさくてやめた。

シューマン「幻想曲ハ長調」をリヒテル盤で。
昨夜はポリーニ、今日はリヒテル。対照的な演奏。
リヒテルのアツさは、シューマンからベートーヴェンを掘り出すための戦略なのかもしれんと思いついたり。
と、半野喜弘の企画盤、イタリアのわけがわからんドローンものなど。

読書。
川端康成、コンディヤック、ラノベ、コミック。

伊藤悠子の詩集。
イマジナリーな世界からアクチュアルな世界へ詩が踏み出そうとする。
たとえば、インカの生贄に捧げられた少女のミイラ、いまこの瞬間にも遺棄されて死んでいく子どもたち。
詩はリアルへ向かって歩みだそうとするが、やはり詩は強力で、
「記憶」という力に化身して、それらをすべて抱擁し、縛り、固着させる。
それが良いことなのか悪いことなのか、わたしには判断することができない。

  ろうそく町

ろくそく町に行こうと思います
ろうそく町は古い地図の中にあるはずなのですが
場所は確かめられません
名前だけが残っているのです
名前は記されてあるのです
あのろうそく町でろうそくを売るのです
あまり売れません
最後に売れたのはだいぶ前のことです たしか
ろうそくの埃を拭いたり
その数を確かめるともなく確かめたり
ろうそくを拭いているとおのれの罪科を拭いているようなのです
隣の店もろうそくを売っています
前の店もろうそくを売っています
隣の店のひとも
ろうそくの埃を拭いたり
きっと同様にしているでしょう
前も隣もとても静かだからわからないけど
暮れると
店先にろうそくを点します
よそも同様にしたのでしょう
町はその瞬間
明るくなり
遠くなり
わたしはやっぱりここにいて
明けがたのの夢のつらさに
もうろうそく町に行くほかはないと思っているのです

ろうそく町は静けさだけがたよりの町です

やはり、わたしたちは詩を撃つほかないのだ。

就寝、3時半予定。

Dem Andenken eines Engels (6th Mar. 2012)

/ 2012年3月7日水曜日 /
起床、6時半。雨のち曇り。
トドを撃って、散歩をする。梅の花が雨でだいぶ散っていた。

朝食。まありとふたりで。
フルーツグラノーラ、ヨーグルト、キームン。

午前中、5枚コラム。雨が上がる。

昼食。ひとりで。
干柿、ヨーグルト、キームン。
粗食極まる。

午後から電車に乗って某神社へ観梅。
雨上がりで足元が悪いが、観光客は多い。
いつもの粒あん最中を食べながら参道を抜け、奥の梅園へ。
梅は盛り。雨で落ちた無数の花びら。梅園のさらに奥で鶯。

老梅の穢き迄に花多し  虚子

鶯の枝ふみはづす初音かな  蕪村

うぐひすの声のひびきに散る花のしづかに落つる春の夕ぐれ  木下長嘯子

あるいは雨に落ちた椿。

水入れて鉢に受けたる椿かな  鬼貫

茶店でお餅を食べたりお抹茶を飲んだりしながら、思ったより長い時間本を読んで過ごす。
帰宅、18時過ぎ。

夕食。まありと。
豚スペアリブとプルーンの煮込み、かぼちゃのグリル・玉ねぎソース、
半干大根とセロリの昆布醤油漬、筍のピクルス、ご飯。
食中酒はヱビスビール。食後酒は甲州産の白ワイン「サンセミヨン2009」。

スペアリブは玉ねぎをたくさん使うことがポイントだろうかね。
スペアリブ500gにつき、たまねぎ2個見当で。
サンセミヨン2009は、ジャスミンや桃の香りが強い華やかなワイン。
かなり冷やして飲んだほうがいい。
なにかフルーツ系のデザートと飲んでもいけそうなくらい甘い。

シトロン・ジュネヴァの炭酸割りやタンカレーのロックをぐびぐび飲みながら、
音楽を聴いたり本を読んだり。
アルバン・ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」。
ジェルメッティ指揮、シュツットガルト放送交響楽団の録音。ヴァイオリンはツィンマーマン。
清廉で感情を押し包むような美しい演奏。
ほかにジャズやらラウンジものやら何枚か。

ジャンケレヴィッチの『ラヴェル』を読了。
素晴らしい。びっくりした。こういう批評がありうるのか。
「仮面をかぶったラヴェル」とか、ちょっと考えたことがなかったけど、深く納得できる。
コミックやラノベだの。
『迷い猫』が巻を追うごとにテンションが落ちてくるので、読むのが辛くなる。
水谷フーカ『14歳の恋』。たしかに思春期ってのは「~っぽい」に振り回される時期だよな、とか。

就寝、2時半予定。

Stabat Mater (5th Mar. 2012)

/ 2012年3月6日火曜日 /
起床、7時半。終日、雨。
朝食、昼食抜きで、朝から集中して新しい仕事のプロット作成。
(まありにはオムレツとトースト、コーヒーを作ってやった)
宅急便が2度来た以外は書斎から出なかった日。
気がついたら16時半、急いで買い物に行く。

夕食。
ラグーのピーチ、甘鯛のポテト衣のポワレ、ジャガイモとクレソンのサラダ、バゲット。

ピーチは生地がだいぶなれてて出来が良かった。やっぱり生地は1日寝かせると味が変わってくる。
甘鯛のポテト衣はスライサーで極細切りにしたジャガイモ(メークインがいい)に
あさつきのみじん切り、生クリーム、塩、白胡椒で和えたもの。
じっくり焼くと表面はパリッと、メークインの衣はもちっと、蒸し焼き状態の甘鯛はふわっと仕上がる。
サラダのジャガイモも、茹でたあと温かいうちに白ワインを振っておく。
このあとある程度アルコール分を飛ばしてヴィネグレットで和える。
Kちゃんから教わった裏ワザなんだけど、まったく風味が違ってびっくりした。

アルコールはNorton Brut Rose。チリのスパークリング。
CPは高い。

お風呂に入り、音楽を聴きながら読書。
ラヴェル「弦楽四重奏曲」ジュリアードSQ、ソニークラシカル盤。
繊細で稠密、張りがあって緊張感がある演奏。
ほかにドイツ産のフューチャージャズやUKダウンテンポの新譜を何枚か。

ティツィアーノ・スカルパ『スターバト・マーテル』読了。
物書きは、本質的に音楽に嫉妬する。音楽と言葉は対になろうといつも望んでいるけれども、
それがなされるのはほんとうにまれなことだ。
これを読んで、なんとなくディドロのソフィ・ボランへの手紙を思い出した。
余白を埋める、重ねて書かれた言葉、音楽。


お母様、このような紙に書いていることを、お咎めにならないでください。ここで手に入れることができるのは、これしかないのです。まっさらな紙はありません。とても貴重なのです。それは楽器奏者や歌い手のパートを写譜するのに使われるので、わたしは書き直しや写し間違いでいっぱいの反故をとっておいたり、練習のあいだに破れてしまった使い古しなどの捨てられる紙を集めたりします。古い楽譜の五線の間にある白い隙間を利用して書かなければなりません。こんなところに書いているのは、お母さまの敬意がないからではありません。この紙を見てください。音楽と言葉とでいっぱいです。


モーリス・ブランショ『文学空間』再読了(学生の頃以来かな)。
シトロン・ジュネヴァの炭酸割りをぐびぐび飲みながら、ラノベ、コミックなど。

就寝、2時半予定。

Inherit the Stars (4th Mar. 2012)

/ 2012年3月5日月曜日 /
起床、8時半。寝坊。曇天。
朝食ぬき。まありは終日不在。

先日夜に仕上げた仕事をチェックして送信。
資料を探して集めたり、アニメを見たりしながら午前中をだらだらすごす。
雨が降り始める。

昼食。パルメザンチーズの玄米リゾット。
シトロン・ジュネヴァを炭酸で割って飲んだり。
リゾットの具は鶏の胸身、玉ねぎのみじん切り、最後にポーチドエッグ。
先日買った4年物のパルミジャーノを使った。
玄米なので自然とアルデンテ仕上がりになるのがよろしい。
それにしてもパルミジャーノは、熟成年数によってこうも味に違いが出るのかと驚く。

たった6枚の仕事にえらく苦闘する。
午後をたっぷり使ってしまった。

お風呂のなかで三島由紀夫の『太陽と鉄』を読む。

見ることと存在することとを同一化しようとすれば、自意識の性格をなるたけ求心的なものにすることが有利である。自意識の目をひたすら内面と自我へ向けさせ、自意識をして、存在の形を忘れさせてしまえば、人はアミエルの日記の「私」のように、しかと存在することができる。しかし、いわばそれは、心が外から丸見えになった透明な林檎のような奇怪な存在であり、その場合の存在の保証をなすものはただ言葉だけである。模範的な、孤独の、人間的な文学者。

ここからしばらく林檎の比喩が続く。
芯たる私は林檎であることを信じることができない。
ゆえに、林檎を割って外からその果皮を見るしか道がないのだが、
そうすると、それは林檎であるといえるのか、と。
それは身体を鍛え、自衛隊に入隊までした三島の動機にあたる部分なのだが、
こんな人間、もうこの世のどこにもいない。
三島が予期していたように、世界はその後の数十年をかけてさらにダメになった。
(わたしが三島のこの視点を首肯することはないけれども。)

まありが遅くなるというのでひとりぶんの夕食をのんびり作る。
シエナの手打ちパスタ、ピーチ。
00粉がないので、強力粉と薄力粉で代用。
強力粉:薄力粉:水=1:1:1の分量で生地を作った(結果的に言えば、もう少し薄力粉が多めでもいい)。
あと、ごく少量の塩、オリーブオイル。
ある程度伸ばした生地を包丁で切る。さらに手で転がして細くする。

寝かせたりしていたら、22時に夕食。太るじゃないかと思うが仕方ない。
パルミジャーノと、オリーブオイル、ちょっと残っていたジェノベーゼ・ソース、
トッピングが、松の実がなかったので乾煎りしたアーモンドスライス。
まずまず。もっと生地を寝かせるといいように思う。
しかしソースにパンチが足りない。
まだ生地が残っているので、明日の夕食はラグーにしようと思う。
シエナだからな。こういう素朴な料理には土地柄を考えたほうがはずれない。
飲み物は、Castiglioni Chianti Frescobaldiのハーフ。
ミディアムボディで飲みやすいトスカーナワイン。

ちびちびラムなど飲みながら音楽を聴いたり。
ジュリアードSQのシューマン『弦楽四重奏曲第2番』など。

大澤真幸、読了。ほかに(エロも含めて)漫画など。
星野之宣『星を継ぐもの』は相変わらず面白い。
J・P・ホーガンの原作にストーリーは沿っているが、構成は変えてるようだ。

ブランショ『文学空間』を、10年ぶりか再読している。
就寝、3時予定。

Arabia / Anemone & Fennica(3rd Mar. 2012)

/ 2012年3月4日日曜日 /
起床、7時。
朝食。クランペット、ポーチドエッグ、ヨーグルト、リンゴ。

先日までの東京行きの疲れが若干たまっているのだけれど、トドを撃った後、海のほうへひとりで行った。
到来物へ返礼をしなくてはならぬがゆえに。
(まありは友人と約束があるとかだった)

いつものようにがたがた道を通ってお塩を買いに行ったり、
石鹸屋さんが開店するまで海辺に車を止めてルソーを読んでいたり。
梅の花と桃の花を見る。今日はひな祭り。
菜の花、オオイヌノフグリ、ホトケノザ。

手をかけて人の顔見て梅の花  一茶
桃の花隠れ家なるに吠ゆる犬  漱石
雛あらば娘あらばと思ひけり  子規

いつものレストランで昼食。
春野菜のキッシュ、生ハムと菜の花のピッツァ、サンペレグリノ、エスプレッソ。
キッシュの具は、春キャベツ、細めのグリーンアスパラガス、ソラマメ、ミニトマト、パプリカ、玉ねぎ。
おいしかったので2ピース食べた。

ARABIA社のカップ&ソーサーを2客買う。アネモネとフェニカ。
あと、70年代の北欧ファブリック。

帰宅18時半。すぐ七輪を引っ張り出す。ベランダで夕食。
買ってきたばかりのレンダーブルストを焼いて、買ってきたばかりのバゲットに挟んで食べた。
白ネギを焼いてオリーヴオイルと岩塩で。牡蠣とサザエ。牡蠣はたぶん今年最後になるか。うまい。
ワインはRecit Roero Arneis 2007。軽くて良い。
ほかにDe Kuyperのシトロンジュネヴァを炭酸で割って飲んだ。

お風呂に入った後、6枚の原稿を2時間ほどかけて書く。
あとは読書と音楽。いま読んでる大澤真幸がいまいちつまらない。

就寝、3時半予定。

Englische Suiten, Französische Suiten(29th Feb. 2012)

/ 2012年3月1日木曜日 /
起床7時。
昨夜はたいそう鬱だったけれども、頓服を飲んで寝たらわりとすっきり起きることができた。
終日晴天。

朝食。
トースト、ネーブルのコンフィチュール、アッサム。

昼食。
パジョン。
片栗粉を足すとやはりパリッとなる。卵液は使わなかった。たぶんそっちのほうがよくできる気がする。

午前、1本。午後、2本。
コラムな仕事を終わらせる。

買い物に行って筍など買うが、やはり午前中に買うべきだったと後悔したり。

夕食。
つくねの木の芽あんかけ、鯛の細造り、春菊と干し菊花のおひたし、卯の花汁、わかめご飯。
お酒は「庭のうぐいす・スパークリング」。久留米の酒で軽い飲み口。
つくねの種は半量を酒煎りして擦り混ぜた。結果的に加熱時間が短くて済むのでふっくらあがる。
キョフテの技法。
細造りは、鯛にごく少量の太白胡麻油、それに塩わさびを添える。醤油は使わず。
わさびに塩を混ぜると、わさびの辛みが抑えられる。

お酒を飲みながら、Glenn Gouldの「イギリス組曲」と「フランス組曲」を全曲聴く。
高橋洋児『過剰論・経済学批判』を読むが、あまりにくだらない。
耄碌した爺さんのたわごととしか思えぬ。
ゲルトルート・レーネルトの『絵でたどるモードの歴史』は面白い。
訳がもっとこなれていたら言うことないんだけど・・・

今日の収穫は、Four Tetの〈Text〉にJuk Jukという新人アーティストを見出したこと。
Ketema Mekonnenというエチオピアの歌手を発掘したこと。
(しかもKetema Mekonnenは、Hector Zazouと関係していた)
そんな感じかな。

就寝予定、4時。

solla mikanagui a.k.a.delineators

基本的にいい加減。
しかも、ふだんは我慢してるけど、根がオタク。
仕事がらみの真面目のことは本垢にまかせて、
せめて副垢では本性を出すことにしたい。

座右の銘は「Quid sit futurum cras, fuge quaerere!」
ホラティウスせんせいの格言で、要するに「なるようになるさ」ってこと。
音楽と本が主食。
でも、料理を作るのも好き。お酒が大好き。
そんで、妹が好き。

まあ、そんな感じ。
 
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