昨日送られてきた校正の仕事をはじめる。
わたしの朝食は抜き。まありにはトーストとベーコンエッグ、紅茶。
仕事を粛々としながら、なんだかしゃくにさわるツイートに噛みついてみたり。
(本人は読んでないだろうが)
「学者と大衆」なんぞわけのわからん区分が知の世界で機能してたまるか。
あげくのはてに、「一般大衆=日本語しか話せない日本で生まれ日本で働き日本で死ぬしかない大多数の日本人」だの
「共同体に対する敬意」だの、くその役にも立たない。
昼食。あんぱん2個、ホットミルク。
17時までぶっ続けで校正に集中。終わりやしない。
まありからサークルの飲み会で遅くなるという連絡。
なぜか劇団騙り明かそうの話。
2001年頃の2ちゃんねるにはいま現在ツイッターで展開されているコミュのあらゆる技法が存在した、とかそんな話。
遅い夕食。チーズトースト1枚、プレーンヨーグルト、紅茶。
こたつにノートを持ち込んで校正仕事。
Dのマスターからがんがん呼び出しらしき電話がかかるが無視。
なんとなくスウィフトとピンドラの類似について誰も気づいていないのはなぜか、とか。
まどマギとの関連などつらつら考える。
まどマギやピンドラにある程度のシンパシーを抱くのは(これは既定)、
そこになにがしかの生々しいリアリティがあるからだろうと思われる。
じゃあそのリアリティってのはなにかというと、なんかよくわからんけれども、
自分の見えないところで見えない犠牲がべらぼうな量あって、それはかたっぱしに存在しないものにされてる。
「こどもブロイラー」みたいに。そういう漠然とした予感がある。
じゃあ、どこに「こどもブロイラー」があるのかはわからんし誰も知らん。
でも、誰ぞが言ってたように、他人の不幸を探しまわるわれらがおるとして、
それは「こどもブロイラー」を探してるってことじゃないのか、とも思う。
そこで、「怒り」だ。
とくにこの1年、この国はもうとんでもないうんこなことになってしまった。
目に見える形で「こどもブロイラー」は絶賛稼働中。
たとえばフクシマの蓋のあいた棺桶にじゃんじゃん日雇い労働者を送り込んで、
十分に放射線を浴びさせたらバイバイしてる。
せめて棺桶に蓋したら名前を彫ったモニュメントを建てるべきだろうが、
身元確認もまともしてないからたぶん無理だろう。
ここでもその存在が消されるわけだぬ。
こういう「存在を消すシステム」がひとつあらわになると、いくらでもあるような気がしてくる。
たぶんそうだろう。
そこでピンドラに戻る。最終話に妹姫に涙を流させたのはなんだったのか。
それは「書かれたもの」なわけです。
「大スキだよ!! お兄ちゃんより」と書いてある、鉛筆で小さな紙切れに。
存在が消されたのになお、言葉だけは響く。
それはね、ものすごいセンチメンタリズムですけどね。
でも、神さまも仏さまもとっくにいないこの世に、たったこの程度の希望もなくなったら、
この世界はマジでうんこです。
そう思うんだよね。
まありの帰宅、3時。べろんべろん。そのまんま倒れ込むように布団に入っていた。
わたしはなぜか寝つけず、少しカルーアミルクを飲んだり。
就寝、6時。
0 コメント:
コメントを投稿