Il tempo invecchia in fretta (1st May. 2012)

/ 2012年5月2日水曜日 /

起床、6時。雨がふったりやんだりな一日。
今日は八十八夜である。

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
「あれに見えるは茶摘みぢやないか
あかねだすきに菅の笠」
 
日和つづきの今日このごろを
心のどかに摘みつつ歌ふ
「摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本の茶にならぬ」

朝食、まありと。
煮玉子、キャベツのごましそ和え、こんにゃくのきんぴら、
油揚げと菜の花のお味噌汁、にんじんのぬか漬け、ごはん。

朝からクッキーを焼いて(生地をシート状に冷凍していたものを、シートのまんま焼いた)
食べながらのお仕事。
午前中、6枚。推敲、脱稿。

昼食、ひとりで。
ソフトフランスパンのサンドイッチ、コーヒー(マンダリン)。
サンドイッチの具は、アボカドのスパニッシュオムレツ、サニーレタス、発酵バター、マヨネーズ。

午後は大仕事のほう。
うんうん唸って8枚。計55枚。
明日はここまでを推敲してみようと思う。
だいぶいじるかもしれない。

夕食、まありと。
豚肩肉の蒸し物(黒ごまペーストのせ)、沖縄風の卯の花、筍と空豆の茶わん蒸し、
もずくと豆腐のお味噌汁、大根のぬか漬け、ごはん。
ビールはサッポロ黒ラベル。

豚肩肉の蒸し物は「みぬだる」といって東道盆に出される料理。
黒ゴマのペーストをお肉のうえに乗せて蒸す。
沖縄風の卯の花も蒸して作る。塩味主体なので白い。筍を入れた。
アンド茶わん蒸し。
せっかく蒸し器を出したので、蒸し料理ばかり作った。
時間がかかった。

ワイン、「原茂ヴィンテージ甲州シュールリー2009」。
辛口すっきり、しかも安い。
肴はミスカンツァ。たんぽぽとクレソンのサラダ。
粗く砕いたパルミジャーノ・レッジャーノ、レモン汁、EVO、塩と胡椒。

たんぽぽのサラダの話野の話  素十

読書、バタイユ『宗教の理論』など。
このあたりのバタイユの思考は、科学観の批判的分析を可能にするだろうか。

帝国への組織化へと(つまり普遍性の組織化へと)進む運動のうちで、操作的な諸形態が重要となっていくにつれて、また製造の技術が発達していくにつれて、注意の一部分は再び事物たちの世界のほうへ連れ戻された。そして主として事物たちのほうへと向いた注意においてこそ、諸種の判断の一般的な自由とか矛盾などが可能となったのである。人間の思考は、神話的次元が及ぼす堅固な限定を逃れたのであり、それで客体たちが明晰、かつ判明な認識の用具が練り上げられていくにつれて、その用具を内奥次元の認識のために用いることが試みられるようになった。こういうわけで、明晰な意識には、ある種雑種的な内容が与えられたのである。内奥次元とは根底からして非現実的なのだが、その恣意的な神話的諸表象を脚色して、客体たちについての意識がそうであるような論理的な形態にうまく適合するよう按配したのである。それ以降、内奥次元は認識のすべての領域に、志向性をおびた諸決定を導入したのであるけれども、しかしそうした決定は内奥次元が内奥的なままとどまることができるような妥協の産物を表しているのである。こうして意識が言表することはそのように雑種的な性格を示していたが、学問=科学が少しずつそれを逃れるようになったのは、内奥界と現実界との分離が完了した状態になってのみなのである。しかしながら科学はその威力が確実になっていくにつれて、人間を人間自身から完全に遠ざけてしまい、科学者という種のほうに、お互いに競い合いながら、しかも一方が他方に完全に服従することなく発展していくと、ついにはまったく完全に現実的な世界と、同じく完全に現実的な人間が創設されるに至る。そしてそういう現実的な世界と人間を前にしては、内奥の次元が自らを表象しようとしても、それはただえんえんと続く口ごもりによってしか表象されないのである。このような口ごもりは、それがまだ一般的に現実原則に向かって内奥性原則を対立させる能力を持つという点で、並々ならぬ力を維持してはいるのだが、しかしそうした口ごもりを〈善意〉が迎え入れようとしても、その善意は、どんなときでも失望し、落胆するほかないという徒労感を刻印されている。というのも口ごもった声は、なんと柔弱そうに思えることだろう! そうした声の横滑りは、現実を明確に表現するとなんと無力きわまりないものだろう! 権威も正統性も全面的に事物の側に、生産の側に、生産された事物についての意識の側にある。その残余は全て虚偽であり、混沌である。

アントニオ・タブッキの『時は老いをいそぐ』も読了。
ものすごい眠気。

就寝、1時予定。

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solla mikanagui a.k.a.delineators

基本的にいい加減。
しかも、ふだんは我慢してるけど、根がオタク。
仕事がらみの真面目のことは本垢にまかせて、
せめて副垢では本性を出すことにしたい。

座右の銘は「Quid sit futurum cras, fuge quaerere!」
ホラティウスせんせいの格言で、要するに「なるようになるさ」ってこと。
音楽と本が主食。
でも、料理を作るのも好き。お酒が大好き。
そんで、妹が好き。

まあ、そんな感じ。
 
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