薬を飲む。
朝、昼、夜、就寝前。
日に四度。
ときどき頓服を飲む。
毎日、飲む。
薬は、わたしを覆う不可視できつく貼りついたヴェールを溶かし消したりはしてくれない。ただ、それに注意が向かないよう、脳を麻痺させる。ヴェールを別のヴェールで覆う。何に違和感を感じているのかわからなくさせ、わからないこともわからなくさせる。若い主治医によれば、それがわたしに与えられた「休息」だった。
白いの、ピンク色の、薄青色の、黄色いの、オレンジ色の、
丸いの、楕円状の、真ん中にすじが入ってるの、粉末なの、
いろんな薬をいろんな組み合わせて飲む。
薬は、長い時間を淡々と進めてくれた。
朝がきて昼がきて夜がくる。授業、休み時間、授業、休み時間、授業、休み時間、授業、休み時間。その繰り返しを。わたしにはそれが苦痛ではなかった。もうなにも考えていなかったし、何も感じなかった。昨日のことはほとんど覚えていない。記憶しているのは宿題くらい。クラスメイトとどんな話をしたかなんてぜんぜん覚えていない。主治医は二週間に一度わたしの様子を見る。いくらか質問をし、わたしがろくに答えられず、記憶があやふやで(つまり過去に拘泥できないってことだ)、自己分析なんてまったくできないのを確認して、にこっと笑う。「うん、落ち着いているみたいで安心したよ。お薬でだいぶ楽になっているみたいだね・・・」
春が過ぎ、梅雨が明け、夏になろうとしていた。
苦しくない。苦しくない。苦しくない。
何も苦しくない。
苦しいってどういうことかわからない。
苦しいってどういことだったっけ?
朝起きて、授業がはじまるギリギリまで寮の自分の部屋でまんじりとしている。だってみんなとぞろぞろ登校するなんて気持ちが悪いだろう。たとえ、寮から学校までたったの200mほどであってもだ。他人の声が気持ち悪い。自分の声も気持ち悪い。挨拶なんてほんとうに嫌だ。息をするのも嫌だ。彼らが吸って吐いた空気が、わたしの身体に入ってくるなんて考えるだけでぞっとする。おぞましい。
日の光は気持ち悪い。朝の匂いは気持ち悪い。太陽は、わたしの敵を明確にする。
わたしはだいぶ人が少なくなった道を、ひとり登校する。
いちど、靴を履き忘れて登校したことがあった。「靴を履き忘れて外出する」なんて経験をしたことがあるひと、どれだけいるだろう。靴も履かずに、靴下だけで学校に行こうと道を歩き始めたわたしを見つけた寮監は、心配して保健室まで付き添ってくれた。わたしは死にたくてたまらなくなった。それなのに、ちっとも苦しくない。
たいていHRは始まっている。わたしが後ろからぼんやり教室に入っても、担任はなにも言わない。出欠をとり、なにやら連絡事項を淡々と告げ、HRは終わる。そしてわたしのところにやってきていつも同じことを言う。「辛かったら言えよ、保健室行ってもいいから。」 わたしはうつむいてずっと机に入っている傷を眺めている。なにも考えることなんかない。悲しくもない。時間は淡々と過ぎていく。わたしは観察者。なにも見えないのに観察している。滑稽なことだ。しかもフラスコの中から、なのだ。
苦しくない。苦しくない。苦しくない。
何も苦しくない。
お腹が空かない、疲れない、眠くもならない。
空腹も疲労も眠気も、全部忘れてしまっていた。
たぶん両手両足をもがれても、きっと痛みを感じないのではないかと真剣に思っていた。薬を飲まなければいくらでも起きていられた。そのくせまったく疲れない。いや、疲れているんだろうけれど、それがわたしに届かない。
お腹も空かない。
日に一度、学食で食べる。昼食だ。
食事は苦痛だ。味がわからない。塩味、甘さ、辛さ、酸っぱさ、苦さ、歯ごたえ、柔らかさ、固さ、それぞれがそこにあり、それはわかるのに、味ではない。わかるだろうか、この屈辱。わたしは継母のベークドチーズケーキが食べたかった。高校生の頃、ずっと食べたかった。甘くてコクがあって、少ししょっぱみもあるケーキ。でも、きっといま食べても発泡スチロールを食べるのとたいしてかわらないだろうこともよくわかっていた。
それはイデアだ。祖母のお煮しめも、継母のチーズケーキも。その味は記憶にはあって想起できたけど、わたしにはもう手が届かない。
当然、わたしはガリガリに痩せていた。鉛筆のようだった。
手がかかる赤ん坊がいるのに、継母はいつも病院に付き添ってくれた。病院では気休めの点滴をする。点滴ほど不快なことはない。体内に得体のしれない液体が注がれることは恐怖だ。わたしはいつも、点滴のあいだ震えていた。ときどき吐いた。継母はいつもそばにいて、わたしが恐怖と戦っているあいだ、実家の話をしてくれる。長い話で、わたしはぜんぜんそれを聞いていない。覚えてもいない。それでも話してくれる。
そして帰り際に氷砂糖の袋をくれるのだ。これなら食べられるわよね、余計な味はしないものね、甘いだけだしね、だからいつも口に入れてて、お願いよ。だけどわたしは、氷砂糖を全部口のなかで溶かすことができない。糖分が身体に入ってくるのがわかるのが我慢できない。半分ほどなめたところで、きまって吐き捨ててしまう。
毎日、薬を飲む。飲み続ける。
効いているのか、効いていないのかもわからない。
苦しくはない。苦しいってどういうこと?
これだけ踠きながら、わたしはひとりでいた。
先生はどう接すればいいのかわからず当たり障りない会話をわたしに向けた(もちろんわたしはたいてい頷くだけだ)、クラスメイトはわたしを心配したり邪険にしたりしていた。わたしはそれをずっとただ眺めていた。ひとりで。
梅雨が明けたある日、夕方、渡り廊下で。
リトルミイみたいに頭のてっぺんにお団子を作った先生がわたしを呼び止めた。司書の先生だった。
「図書室の利用者カードは持ってますか?」
持っていたと思う。入学のときにもらったと思う。だけど捨ててしまった。使わないから。本は読めない。読んでも頭に入らない。
「そう・・・ じゃあ再発行しましょう。ほら、来なさい」
なんでわたしの名前を知っているのか。ああ、目立ってるからな、わたし。面倒だ、億劫だ、帰りたい、部屋でじっとしていたいんだよ・・・ でも、嫌だと言う気力もなかった。
図書室は渡り廊下の先の茶色の建物の半地下にある。階段を下りると、手を合わせ首を少しかしげた真っ白いマリア像。その左に図書室のドアがあった。観音開きの重いドア。
わたしの図書室。そこはわたしに用意された繭。
踠くわたしに与えられた「ほんとうの世界」。