fekete rigó 02

/ 2012年2月28日火曜日 /
わたしの制服は血で汚れていて、暴れるので止血もできず、血は先生たちの服にも飛び散っていた。保健室のドアの前には、わたしの絶叫を聞いた生徒たちが集まり、先生たちは生徒たちを教室へ誘導しようと必死だった。
そこに母親が駆けつけた。わたしは先生ふたりに抱きかかえられるように車に乗りこみ、母の運転で行きつけの病院に行くことになった。先生はすぐに救急車を呼び、わたしは60kmも離れた大学病院へ搬送された。

わたしはこのときのことをほとんど覚えていない。あとから聞かされたことだ。
救急車のなかは少し覚えている。体をバンドで固定されていた。白い箱のなかでわたしは空気に溺れていた。いや、なぜ空気にひたってわたしは生きていられるのかと思っていた。透明な得体のしれないものに取り囲まれて、浸されて、どうして人間は生きていられるのか。そんなことを考えていたのをうっすら覚えている。母親はわたしの手を握ってくれていたが、その温度が、やわらかい感触が、どうしようもなく不快だった。
不快? そんなもんじゃない。拷問だった。ただただ苦痛だったのだ。

次に覚えているのは、病室の白い天井だ。体はバンドで相変わらず固定されている。頭の上には点滴がぶら下がってるのが見えた。
首を回すと窓が見えてそこには白い鉄格子がついていた。そうかあ、わたしはここに来たのか、と冷めた頭で考えていた。精神科の処置室だった。
そばに座っていた父親と母親が心配そうにわたしを覗き込んだ。ふたりはなにも言わなかった。わたしは声も出なかった。わたしは疲れ切っていて、もうどうでもよくなっていた。身体の違和感は持続していたが、さっきよりもさらに感覚と魂の間の線が切れたような気がしていた。ロボットが自分の鉄の体や電子の脳みそを心配したりするはずがないじゃないか。どうでもいいどうでもいいどうでもいい。

わたしは眠ったり起きたりを繰り返した。正確に言えば、起きてるんだか眠っているんだかわからない時間を過ごしていた。いつのまにか処置室から個室に引っ越していて、拘束は解かれていた。
薬のせいか、トイレに行く以外はほとんど起き上がることができなかった。看護師さんは決まった時間にわたしをトイレに連れて行ってくれるのだ。そうでもしなくては生理現象すらコントロールできない。

口を開くのも、なにか考えるのも億劫だった。そういう状態が何日か続いた。父母は来てくれたが、その間、わたしはまったく話をしなかった。父母にもなにが起こったのかわかっていないようだった。それはそうだろう、わたしですら同じだ。とくに母親は、わたしと同じくらいに動揺していたようだった。

薬を切り替えていったのか、少しずつわたしは自分の状況を理解できるようになった。
わたしはどうやら精神科の閉鎖病棟にいるらしいこと。部屋の外は静かだけど、ときどき男性か女性かわからない奇声が聞こえた。どうしてここに来たのか、なにが起こったのか、記憶を整理した。日に4度の薬の時間、処方箋を見て今日が何日なのか確認した。あの日からすでに1週間経過している。ガラスで切った右手は、4針縫っていた。

身体は完全に自分のものではなくなっていた。それを「気味が悪い」と思える程度には客観化して眺められるようにもなっていた。猛烈に不快で、胸の奥にはじりじりと焼けるような不愉快さが始終ある。しかしそれすら、どんどんわたしから切り離されていくような気がしてならない。遠心力みたいな力がわたしの体からこの「胸糞わるさ」を引きはがそうとする。なんだか奇怪な論理だけれど、この「胸糞わるさ」にいまなんとしてもしがみついていないと、いずれ自分すらいなくなってしまうだろうとわたしは直感的に感じていた。
だから、むしろ身体の違和感をずっと注意して感じてみようとすらした。それこそ力尽きて眠るまで、シーツやパジャマ、自分の肌や髪の毛、ベッドの鉄枠、床や壁をいじり叩き舐め、音や声、匂い、温度、色、光を吟味した。それは全部わたしが見知っているものではなくなっていた。

まあ普通じゃないよ、普通じゃない。ほんとに狂ってたと思う。

わたしの担当は若い男性の医者だった。幻聴や幻覚はあるのか、痛みはあるか、食欲はあるか、生理はあるか、なにを怖がっているのか、いまなにを考えているのか。そういうことを知りたがった。
「とにかく自分の体も声も嫌いだ。自分のものではない気がする。切ったところが痛いけど、痛くない。いつからそうだったのか、もう自分でもわからない」
たったこれだけのことを言うのに、たっぷり30分はかかったと思う。うんうんうなりながら小さな声で、単語ごとに区切ってしゃべるしかなかった、脂汗をかきながら。声の遠さ、醜さに気が遠くなりそうだった。
「しばらく学校はお休みしようね、なにも考えなくてもいいからゆっくり休もう。親御さんとは会いたい?」
「いいえ、会いたくないです」
父母と会えば、なにか話さなくてはならない。それも苦痛だったし、たしかに父母であるのに「父母だという確信」、つまり安心を抱けないのというのは恐怖だった。孤児のように感じていた。

それから10日間病院にいて、わたしは退院した。

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solla mikanagui a.k.a.delineators

基本的にいい加減。
しかも、ふだんは我慢してるけど、根がオタク。
仕事がらみの真面目のことは本垢にまかせて、
せめて副垢では本性を出すことにしたい。

座右の銘は「Quid sit futurum cras, fuge quaerere!」
ホラティウスせんせいの格言で、要するに「なるようになるさ」ってこと。
音楽と本が主食。
でも、料理を作るのも好き。お酒が大好き。
そんで、妹が好き。

まあ、そんな感じ。
 
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