A Day in the Life

/ 2012年2月28日火曜日 /
I read the news today oh boy
About a lucky man who made the grade
And though the news was rather sad
Well I just had to laugh
I saw the photograph
He blew his mind out in a car
He didn't notice that the lights had changed
A crowd of people stood and stared
They'd seen his face before
Nobody was really sure
If he was from the House of Lords.

I saw a film today oh boy
The English Army had just won the war
A crowd of people turned away
but I just had to look
Having read the book
I'd love to turn you on

Woke up, fell out of bed,
Dragged a comb across my head
Found my way downstairs and drank a cup,
And looking up I noticed I was late.
Found my coat and grabbed my hat
Made the bus in second splat
Found my way upstairs and had a smoke,
and Somebody spoke and I went into a dream

I read the news today oh boy
Four thousand holes in Blackburn, Lancashire
And though the holes were rather small
They had to count them all
Now they know how many holes it takes to fill the Albert Hall.
I'd love to turn you on

わかってる。
ぼくにできることがなにもないのは、もう、千晶にもわかってる。その言葉は、ぬいぐるみで殴られるよりも、爪先で脇腹を蹴られるよりも、ずっと痛かった。
それからぼくらは並んで座り、『サージェント・ペパーズ』を聴いた。
一つも言葉がなかったのに、濡れた肩に残った体温と、肌にうっすら刻まれた痛みとで、千晶が二度と触れ合えない遠くへ行ってしまったことがわかった。
ぼくらは変わらずすぐそばにいたけれど、ぼくらの間にあった名付けられてもいない暖かな幻は、その夜、壊れてしまったのだ。
だから、レコードが身を削って吐き出す歌に、ただ身を預けた。
ライヴの終わりがやってくる。『サージェント・ペパーズ』のお別れの挨拶が、群衆の大歓声に呑み込まれる。冬の足音のように近づいてくる、『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』のイントロのピアノに、ぼくはいつものように涙を流す。
そちらを向かなくても、千晶もまた泣いているのがわかった。
ジョンが歌う新聞の記事の一つ一つ。
ポールがつなげる、ありふれたせわしない朝。
ぼくらが何千回も繰り返してきた、これからも何千回も紡いでいく、なにも特別なことのない、けれどかけがえのない、残酷な日々。

fekete rigó 02

/ /
わたしの制服は血で汚れていて、暴れるので止血もできず、血は先生たちの服にも飛び散っていた。保健室のドアの前には、わたしの絶叫を聞いた生徒たちが集まり、先生たちは生徒たちを教室へ誘導しようと必死だった。
そこに母親が駆けつけた。わたしは先生ふたりに抱きかかえられるように車に乗りこみ、母の運転で行きつけの病院に行くことになった。先生はすぐに救急車を呼び、わたしは60kmも離れた大学病院へ搬送された。

わたしはこのときのことをほとんど覚えていない。あとから聞かされたことだ。
救急車のなかは少し覚えている。体をバンドで固定されていた。白い箱のなかでわたしは空気に溺れていた。いや、なぜ空気にひたってわたしは生きていられるのかと思っていた。透明な得体のしれないものに取り囲まれて、浸されて、どうして人間は生きていられるのか。そんなことを考えていたのをうっすら覚えている。母親はわたしの手を握ってくれていたが、その温度が、やわらかい感触が、どうしようもなく不快だった。
不快? そんなもんじゃない。拷問だった。ただただ苦痛だったのだ。

次に覚えているのは、病室の白い天井だ。体はバンドで相変わらず固定されている。頭の上には点滴がぶら下がってるのが見えた。
首を回すと窓が見えてそこには白い鉄格子がついていた。そうかあ、わたしはここに来たのか、と冷めた頭で考えていた。精神科の処置室だった。
そばに座っていた父親と母親が心配そうにわたしを覗き込んだ。ふたりはなにも言わなかった。わたしは声も出なかった。わたしは疲れ切っていて、もうどうでもよくなっていた。身体の違和感は持続していたが、さっきよりもさらに感覚と魂の間の線が切れたような気がしていた。ロボットが自分の鉄の体や電子の脳みそを心配したりするはずがないじゃないか。どうでもいいどうでもいいどうでもいい。

わたしは眠ったり起きたりを繰り返した。正確に言えば、起きてるんだか眠っているんだかわからない時間を過ごしていた。いつのまにか処置室から個室に引っ越していて、拘束は解かれていた。
薬のせいか、トイレに行く以外はほとんど起き上がることができなかった。看護師さんは決まった時間にわたしをトイレに連れて行ってくれるのだ。そうでもしなくては生理現象すらコントロールできない。

口を開くのも、なにか考えるのも億劫だった。そういう状態が何日か続いた。父母は来てくれたが、その間、わたしはまったく話をしなかった。父母にもなにが起こったのかわかっていないようだった。それはそうだろう、わたしですら同じだ。とくに母親は、わたしと同じくらいに動揺していたようだった。

薬を切り替えていったのか、少しずつわたしは自分の状況を理解できるようになった。
わたしはどうやら精神科の閉鎖病棟にいるらしいこと。部屋の外は静かだけど、ときどき男性か女性かわからない奇声が聞こえた。どうしてここに来たのか、なにが起こったのか、記憶を整理した。日に4度の薬の時間、処方箋を見て今日が何日なのか確認した。あの日からすでに1週間経過している。ガラスで切った右手は、4針縫っていた。

身体は完全に自分のものではなくなっていた。それを「気味が悪い」と思える程度には客観化して眺められるようにもなっていた。猛烈に不快で、胸の奥にはじりじりと焼けるような不愉快さが始終ある。しかしそれすら、どんどんわたしから切り離されていくような気がしてならない。遠心力みたいな力がわたしの体からこの「胸糞わるさ」を引きはがそうとする。なんだか奇怪な論理だけれど、この「胸糞わるさ」にいまなんとしてもしがみついていないと、いずれ自分すらいなくなってしまうだろうとわたしは直感的に感じていた。
だから、むしろ身体の違和感をずっと注意して感じてみようとすらした。それこそ力尽きて眠るまで、シーツやパジャマ、自分の肌や髪の毛、ベッドの鉄枠、床や壁をいじり叩き舐め、音や声、匂い、温度、色、光を吟味した。それは全部わたしが見知っているものではなくなっていた。

まあ普通じゃないよ、普通じゃない。ほんとに狂ってたと思う。

わたしの担当は若い男性の医者だった。幻聴や幻覚はあるのか、痛みはあるか、食欲はあるか、生理はあるか、なにを怖がっているのか、いまなにを考えているのか。そういうことを知りたがった。
「とにかく自分の体も声も嫌いだ。自分のものではない気がする。切ったところが痛いけど、痛くない。いつからそうだったのか、もう自分でもわからない」
たったこれだけのことを言うのに、たっぷり30分はかかったと思う。うんうんうなりながら小さな声で、単語ごとに区切ってしゃべるしかなかった、脂汗をかきながら。声の遠さ、醜さに気が遠くなりそうだった。
「しばらく学校はお休みしようね、なにも考えなくてもいいからゆっくり休もう。親御さんとは会いたい?」
「いいえ、会いたくないです」
父母と会えば、なにか話さなくてはならない。それも苦痛だったし、たしかに父母であるのに「父母だという確信」、つまり安心を抱けないのというのは恐怖だった。孤児のように感じていた。

それから10日間病院にいて、わたしは退院した。

fekete rigó 01

/ 2012年2月27日月曜日 /
これから1時間だけ書こうと思う。
ある程度の分量を書き飛ばす。構成は考えず、表現の洗練とかよりも、脳みそのなかに澱のように沈んでいるストーリーを、すくいあげ文字にする。
校正はしない。そもそも売り物じゃないし。そんなに手をかけられない。
もともとブログだって1エントリーにつき10分と決めて書いているわけで。ブログってのは指の練習みたいなものだ。
とにかくそれなりの区切りにあたる部分まで、1時間以内を目標に書き飛ばそうと思う。

ところで「書き飛ばす」という行為にはふたつ利点がある。
ひとつは修辞的な技巧を限りなく排するわけだから、余計な美化や誇張を避けることができること。
わたしはモノローグ、つまり一人称で書こうと思っている。わたしが見たあの日、「なか」から眺めたあの光景を語ろうと思っている。あの異様な時間を表現しようとするとき、物語ろうとする時点でそのフレームが決定され、またそれが想起である時点でどうしたってバイアスがかかってしまう。スピードで、なるべくそれらを振り切ろうと思う。

もうひとつは、そのスピードがわたしの文体にある種の制約を課すということだ。一人称の中に三人称的な冷静さを持ち込みたくない。それではわたしの話の真意は伝わらない。わたしはわたしの混乱を書こうと思う。物語るということは、じつにめんどくさいことなのだ。

さっさと話を進めろよという声も聞こえてきそうだ。が、もう一点だけ。
これはフィクションだ。誰のことでもない。わたしのことではない。わかるだろうか。これはわたしの物語などではなく、「ウィトゲンシュタインの梯子」であることを、あからさまに予示しておく。
どうせ物語なんてものは、どんなに一人称わたくし文学の体裁をとっていたって、そう偽装したって、それはフィクションだ。
「わたしはこの世に存在していない」ということを最初にくどいくらい強調しておく。

では、はじめる。

+ + +

12月の寒い日だった。

真っ白い雲に覆われた空。吐く息は白くて手袋ごしにも寒さが滲み入ってきた。わたしはひとりで自宅から校門までの長い下り坂をとぼとぼ学校に向かっていた。わたしの家は山の手にあって、毎朝の通学は、長い坂を下っていったん平地に、さらにもう一度坂を上り丘のうえの中学校へ向かわなくてはならない。3kmほどの道のりの半分は坂道だった。しかも徒歩。
いつもは待ち合わせをするアヤちゃんともその日は一緒じゃなかった。彼女は卒業文集の制作委員で、今朝は1組と合同の会議があるとかだった。

やっと校門。
体育のサエキ先生と生徒会のタキグチさんが並んでふたり立っている。
「おはようございます! おはようございます!!」
2年のタキグチさんはほっぺを赤くして半ばやけくそ気味に生徒たちへ無差別に挨拶をしていた。生徒会と先生は毎朝、当番でこれをやってる。いわゆるひとつの伝統というやつで、わたしが1年生の頃からずっとこうだ。どんな意味があるのか知らない。先生にとってはそれなりに意味がある行為なのかもしれない(不良分子を発見する、とか?)が、生徒会役員は別だろう。彼女たちは、その無意味さを意識したことが一度もないのかもしれなかった。生徒会は大変だ。とてもじゃないがわたしには無理だ。そんなことを考えていたのを覚えている。

校門から長い上り坂になる。
脇道のない桜並木の私道を200m以上歩くのだ。学校は丘(というか山と書いたほうが適当か?)の上に建っている。くねくねとS字を描く上り坂。回りには森とみかん畑、放課後は運動部が走り込みに使っている。
私道だからアスファルトで舗装なんてされてなくて、普通のコンクリートで固められた灰色の道だった。ところどころヒビが入ったり、砂利が顔を見せていたり、穴が空いてたりしてる。予算がないのか修理されてない。
そんな坂道を、わたしはもう500回以上往復してる。わたしにはそれが信じられない。毎日、登校という行為だけで1日の忍耐を使い果たす気がしてうんざりだった。

わたしの前をヒデタカくんが歩いていた。彼は学年でいちばん頭がいい。この県でいちばんの公立進学高の校区外枠を狙っている。彼の広い背中を見ながら、わたしも黙々と坂道を坂道をのぼった。きっとわたしの感じるような「うんざり」は彼には無縁だろう。わたしも私立の進学校を受けるつもりだったけど、彼ほど勉強もしてなかったし、成績もよくなかった。その日は、朝から数学の小テストがあるはずだった。

そのとき。
そのときわたしの右足から「なにか」が外れた。
突然だった。
あれ、わたしの足ってこんな感じだっけ? こんな感覚をしてたっけ?
そう思った。
その次の瞬間、右足がプラスティックになった。

あっ、と思った瞬間膝が折れ、しかし左足はすでに前に進んでいて、その左足からもついでのように「なにか」が外れた。
気がつくと、わたしはざらざらのコンクリートに思い切り両膝をついていた。体を支えるために思わず手をつく。手が鬼おろしのようなコンクリートの上を前に滑った。全身から急速に力が抜けていった。他人から見たら、歩きながら器用に転んだように見えたかもしれない。

なにがおこったのかわからなかった。
顔を上げるとヒデタカくんがこちらを見ていた。なにやってんの?というような、どこか軽蔑したような冷めた顔をしていた。体をおこし、手のひらを見る。わたしの両手はぶるぶる震えていた。
血がにじんでいる。とにかく足の感覚がおかしい。膝からは派手に出血していた。それはわかる。
だけど、それがひどく非現実的だった。まるで別世界のように見えた。痛み、これが「痛み」というものだっけ。そう思った。痛いのだ。痛いのだが、この「痛み」はわたしの知る痛みとは違っている。
膝をついたまま前を見る。ヒデタカくんが2,3歩近づいてくる。もっと上を見る。大きく手を広げる桜の枝、透かして空を見る。白い空。冬の空。でもぜんぶ、わたしが知っているものとは違っていた。そうとしか言えない。凄絶な違和感だった。

直感的にわたしは「狂った」のだと悟った。足の病気とか、そんなもんじゃない。すでに両手の感覚も変わっていた。「なにか」が両手からも失われていた。外れた感覚すらしなかった。さっきまで痛かったのに、その痛みは抜け殻になっていた。痛い。痛いのに、その「痛み」は偽物で、わたしがこれまで感じたことがない「遠い感覚」だった。

もう一歩も動けなかった。
わたしに声をかけてくれるヒデタカくんも、走り寄ってきた女子の顔も、わたしには異様なものだった。知っているひとなのか、知らない人なのか、確信が持てなかった。ぶるぶる震えながら彼らを見ていた。恐怖だった。
一瞬のうちに世界が切り替わった。その日の朝、わたしはちゃんと目玉焼きを食べ、トーストを食べたのだ。それも全部、なにもかも遠くなった。あれは夢か。もしかして、わたしはとっくの昔に狂っていて、いままで気がつかなかっただけなのか?

力が抜け、またよつんばいになった。
顔を上げることもできない。
空が恐ろしい。なぜ白いんだ。白ってなんだ。空は青だろう透明だろう。わたしにだけ白く見えているのか? そんなことをずっと考えていた。おそろしくておそろしくて、どうしようもなかった。

誰か呼んできてくれたのか、坂道を男の先生が走り下ってきた。声をかけてくれるが答えようがない。どう説明したらいいのかもわからない。
うーあーうーあーと自分でも意味のない言葉を発しているのはわかる。そしてすでにそれがわたしの声ではないことにも気がついていた。いま呻いているのはいったい誰なのか? これはいったい誰の声なのか? めまいがして、わたしは吐いた。

まるで書き割りのような光景だった。白い空。ペンキで雑に塗ったような空。空に根を張る桜の木。黒いペンキで書かれた絡み合う木の枝。むかしおじいちゃんが撮った8mmフィルムのなかにいる何十年も前の人影みたいにぺらぺらな同級生の姿。マッチで火をつければ全部燃えてしまいそうな、かさかさした世界。異次元。
いや、もともとわたしはこんなところで生きていたのかもしれないとも思った。わたしがバカで、ただ気がついてなかっただけなのか。もうどちらなのか理解できない。先生がわたしを抱きかかえて走りだしたときには、すでにわたしは、呻き声ではなく、金切声で絶叫していた。

わたしは保健室に運び込まれ、ベッドに押さえつけられていた。身体感覚のあまりの異常さに、わたしはじっとしていることができなかったから。すでに大事な「なにか」はわたしの身体全体から外れ、あっさり消えていた。全身が瞬時に非生体へと、ぶよぶよしたシリコンみたいな得体のしれない物質に入れ替わったというわけだ。

同時に。「書き割りのような光景」、つまり変容は、すでに視覚も支配していた。
わたしは保健室の窓ガラスに恐怖した。透明であるということが理解できなかった。透明とはなんだ。透明なものは触れることができるのか? 透明ってのは固いのかやわらかいのか? こんなことを錯乱しながら、どこか冷静に、真剣に、考えていた。「透明とはなにか」が、もうわたしには理解しがたいものになっていた。わたしは透明を知っているのか。今日の空は白くて透明じゃなかった。青くて透明なものはあるのか? 白くて透明なものはあるのか? あのガラス窓は青いのか? 白いのか? 

いてもたってもいられなかった。
わたしはさっきあの坂道で見た空とガラスのことをぐるぐる考えていた。
わたしは押さえつける保健の先生を振りはらって、窓に走り寄った。次の瞬間、わたしはガラス窓を思い切り叩き割っていた。右手が切れて血がだらだらと流れた。痛くも痒くもない。無敵だなと思った。もう1枚割ろうと手を振りかぶった。先生は悲鳴をあげ、わたしの名を呼んで後ろから抱きついた。保健の先生の白衣にもわたしの血が飛び散ったのが見えた。保健室の隅で、どこかに電話をかけていた男性の先生が子機を放り投げ、保健の先生ごとわたしを床に組み伏せた。何人も先生がきた。そのあとのことはよく覚えていない。最後に覚えているのは、わたしが、わたしのまわりの透明な空気に触れようと、血の流れる片手を振りまわしてたことだけだ。

感覚にフィルターがかけられているような。エフェクターを10個以上直列につないで、ギターをアンプにつないでいるような。わたしの魂とわたしの感覚器には、混乱のなかで、突然ありえない距離が生じた。
そうやってわたしは、本来だれもがあたりまえに持っているはずの、「リアリティ」ってやつを失った。
離人症という病気だった。最初の確信は正しかったわけだ。つまり、わたしは狂ったのだった。

Interview mit dem Tode(26th Feb. 2012)

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起床5時。終日曇天。
朝からキッチンで、仕事をしながらホワイトブレッドを焼くという我ながら器用なことをしてた。
ついでに到来物のネーブルでコンフィチュールなど作る。

朝食。
出来たてののホワイトブレッド、出来たてのコンフィチュール、イズニーの発酵バター、キームン。
全部作りたて、もしくは、おろしたて。今年上半期最高の理想的な朝食だと思った。
朝食を摂りながら、「偽物語」を見る。歯磨きプレイ回。おそらくこの1話で「偽物語」となったであらう。
キタエリ、あんたがんばったな。

午前、改稿作業。

昼食。
目玉焼きとトマトのソテー&レタスのサンドイッチ、キームン。

午後、改稿作業。
途中飽きてキームンを入れた水筒を持って家出。
家の目の前の公園で菜の花や水仙を見ながらぼんやり。

ふらふらと行けば菜の花はや見ゆる  子規

水仙の花の高さの日影かな  智月

水仙や表紙とれたる古言海  虚子

其のにほひ桃より白し水仙花  芭蕉

夕食。
パッケリのラグーディカルネ、エビのグリル、アボカドとパプリカとグレープフルーツのサラダ。
お酒はCapetta Ballerina Brut Spumante。辛口でまずまず。

夜、読書。
ハンス・エーリヒ・ノサック『死神とのインタビュー』など。


(ある夜、生き残った者たちが火を囲んでいる。)「そのとき一人が寝言を言った。なんと言っているのか、だれも聞きとれなかった。しかしみんなとても不安になり、身を起こし、火のもとを離れて、不安そうに冷たい闇に耳をすました。夢を見ている男を足でつついた。すると男は目を覚ました。〈夢を見ていたんだ。どんな夢か正直に言わねばなるまいね。わたしたちの後ろにある世界に行っていたのだ〉。彼は歌をうたった。火はおとろえた。女たちは泣き始めた。〈打ち明けよう、わたしたちはもはや人間ではない〉。すると男たちは〈彼が夢に見たとおりなら、わたしたちは凍え死んでしまう。彼を叩き殺してしまおう〉と口々に言いあった。そしてその男を叩き殺した。すると再び火は彼らを温め、みんなほっと安堵した。」


就寝、1時半予定。

Išbi-erra(25th Feb. 2012)

/ 2012年2月26日日曜日 /
起床、7時半。曇天。

朝食。
昨夜の残りのせりご飯を雑炊に。

終日、昼食も食べず一心に改稿作業。
昼過ぎ、少し雨が降る。

夕食。
チーズトマトグラタン、鶏もも肉とパプリカときゅうりのトルコ風サラダ、セージ風味のジャガイモのニョッキ。
グラタンは昨夜のキャベツの蒸し煮をリメイク。
ニョッキは半分は冷凍した。
ワインはCave Des Vignerons De Bel Air。ヌーヴォーなのにまだセラーに入ってたので。

シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』を読む。


暴力はこの世の支配者ではない。本性上、暴力は盲目で無限定である。この世を支配しているのは、限定であり制限である。永遠なる英知は、この宇宙の網目のなかに、限定の網目のなかに閉じこめる。宇宙はそのなかでもがくことはない。われわれに支配者のごとく思われる物質の暴力は、実際のところ、完全なる服従にほかならない。これこそ、人間に与えられた保証、契約の櫃、この世で目に見、手に触れることのできる約束、希望の確実なる拠り所である。これこそ、世界の美に感銘をおぼえるたびごとに、われわれの心に喰い込んでくる真理である。


「物質の盲目的で無限定な暴力」。
文学はその生まれた瞬間から、つまり、古代メソポタミアの時代からその暴力に抗してきた。
ただ存在することで。
「書き記す」ということは、この無際限で無限定な暴力をテキストという壺に封じこめる魔法だ。
たとえば『ウルの滅亡哀歌』を想起せよ。

シュメールに罠が〈しかけられた〉。――人々は嘆き悲しむ。
国中で人(々)は(防禦)壁を構築するが、(それでも暴風は)それを全部まとめて無にしてしまった。
(どんな)涙もその悪い風に、(害がないようにと)願うことはできない。
あらゆるものの上を吹きすさぶ暴風は国土を打ち震わせた。
暴風は洪水のごとくに町々を破壊した。
国土を滅ぼし尽す暴風は町に〈(死)の沈黙〉をすえつけた。
すべてを失わせてしまう暴風は人々に〈空虚さ〉をすえつけた。
エンリルが憎しみにまかせて命令を下した暴風は、国土を切り刻む暴風は、
ウルの上に、衣服のごとくに覆いかぶさって、リンネル(布)のごとくに拡がった。

これは実際の災害や神話を語ったものではなく、
ウル第三王朝最末期、イシン王イシュビエルラによるウルの破壊を詠ったものらしい。
天変地異を喩えに、戦争による都市の蹂躙が記録された。
文字を得た人間が最初に行ったことのなかには、暴力と悲惨の記録もあったのだ。
そうやって記憶にし、フレームのなかにおさめ、世界にふたたび定位しようとしたのだ。
暴力が本源的に持つ無限定という権能を剥奪するために。

もう少し読書をして寝ようかぬ。ラムをぐいぐい飲んでるけど。
就寝、3時予定。

Agaricus campestris(24th Feb. 2012)

/ 2012年2月25日土曜日 /
起床、7時。晴天。
朝から洗濯など。シーツを洗う。
朝食はヨーグルト、バナナ、紅茶。まありにはシリアルも。

やっと修羅場を抜けた感、正常運転に。
終日、改稿作業。合間にトド撃ち。夕方、買い物に行ったりする。

昼食。
一昨日作ったティラミスを最後の2ピース、紅茶。
(ティラミスのほとんどはまありの胃袋に消えた)

夕食。
灰干さんまの焼き物、筍と生節の煮物、セリと切り干し大根の炒め煮、
小芋と大根のお味噌汁、白菜の浅漬け、せりごはん。
灰干さんまは和歌山からの到来物で七厘で焼いた。お味噌汁には柚子胡椒。

炭火がもったいないので、まありとふたり、新潟からの到来物の寒干し餅や銀杏、するめやほしこを焼く。
鷹来屋の大吟醸を冷やでぐびぐび。うまい。
どんどんエスカレートして、ダッチオーブンでキャベツとベーコンの蒸し煮を作ったり。
むちゃくちゃうまくて、とっておきのChateau des Tours Vacqueyras 2004を出して飲む。
普段は飲まないグルナッシュのワインだけどおいしかった。
というか、なんかハイテンションで飲み食いしたのでなにがなにやらわからない。

デザートのソルベを食べたりお酒をちびちび飲んだりしながら、
ぼちぼち岩波文庫の『陸游詩選』を読んだり、音楽を聴いたり。

飯罷戯示隣曲

今日山翁自治廚 嘉肴不似出貧居
白鵞炙美加椒後 錦雉羹香下豉初
箭茁脆甘欺雪菌 蕨芽珍嫩圧春蔬
平生責望天公浅 捫腹便便已有余

今日 山翁自ずから廚を治めん
嘉き肴は 貧居より出ずるに似ず
白鵞の炙は美なり 椒を加えし後
錦雉の羹は香し 豉を下せし初め
箭茁は脆かと甘く 雪菌を欺き
蕨芽は珍にして嫩かく 春蔬を圧す
平生 天公の浅きを責望せしも 
腹の便便たるを捫でて 已に余り有り

「雪菌」の語には「白いキノコ」という註があるんだが、どんなキノコなんだろうか。
ハラタケあたりだろうか。
あるいはこれ。

春愁

春愁茫茫塞天地 我行未到愁先至
滿眼如雲忽復生 尋人似瘧何由避
客來勧我飛觥籌 我笑謂客君罷休
醉自醉倒愁自愁 愁與酒如風馬牛

春愁 茫茫として 天地を塞ぎ
我が行 未だ到らざるに 愁い先ず至る
滿眼 雲の如く 忽ち復た生じ
人を尋ぬること 瘧に似て 何に由りてか避けん
客來たりて我に勧む 觥籌に飛ばせと
我笑いて客に謂う 君罷めよ休めよ
醉えば自ずから醉倒するも 愁いは自ずから愁う
愁いと酒とは 風馬牛の如しと

「觥」というのが問題で、これは罰杯らしい。
つまり日本語でいう可杯(べくはい)。
水牛の角で作られていたとあるからかなり大ぶりのもので、リュトンのようなものだったと思う(だから角へん)。
「愁いと酒とは 風馬牛の如し」とは、じつに明晰であることよ。

改稿を4分の1ほど終わる。今週いっぱいかけねばならないだろう。
もう少し本を読んで寝るとする。就寝、2時予定。

solla mikanagui a.k.a.delineators

基本的にいい加減。
しかも、ふだんは我慢してるけど、根がオタク。
仕事がらみの真面目のことは本垢にまかせて、
せめて副垢では本性を出すことにしたい。

座右の銘は「Quid sit futurum cras, fuge quaerere!」
ホラティウスせんせいの格言で、要するに「なるようになるさ」ってこと。
音楽と本が主食。
でも、料理を作るのも好き。お酒が大好き。
そんで、妹が好き。

まあ、そんな感じ。
 
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