これから1時間だけ書こうと思う。
ある程度の分量を書き飛ばす。構成は考えず、表現の洗練とかよりも、脳みそのなかに澱のように沈んでいるストーリーを、すくいあげ文字にする。
校正はしない。そもそも売り物じゃないし。そんなに手をかけられない。
もともとブログだって1エントリーにつき10分と決めて書いているわけで。ブログってのは指の練習みたいなものだ。
とにかくそれなりの区切りにあたる部分まで、1時間以内を目標に書き飛ばそうと思う。
ところで「書き飛ばす」という行為にはふたつ利点がある。
ひとつは修辞的な技巧を限りなく排するわけだから、余計な美化や誇張を避けることができること。
わたしはモノローグ、つまり一人称で書こうと思っている。わたしが見たあの日、「なか」から眺めたあの光景を語ろうと思っている。あの異様な時間を表現しようとするとき、物語ろうとする時点でそのフレームが決定され、またそれが想起である時点でどうしたってバイアスがかかってしまう。スピードで、なるべくそれらを振り切ろうと思う。
もうひとつは、そのスピードがわたしの文体にある種の制約を課すということだ。一人称の中に三人称的な冷静さを持ち込みたくない。それではわたしの話の真意は伝わらない。わたしはわたしの混乱を書こうと思う。物語るということは、じつにめんどくさいことなのだ。
さっさと話を進めろよという声も聞こえてきそうだ。が、もう一点だけ。
これはフィクションだ。誰のことでもない。わたしのことではない。わかるだろうか。これはわたしの物語などではなく、「ウィトゲンシュタインの梯子」であることを、あからさまに予示しておく。
どうせ物語なんてものは、どんなに一人称わたくし文学の体裁をとっていたって、そう偽装したって、それはフィクションだ。
「わたしはこの世に存在していない」ということを最初にくどいくらい強調しておく。
では、はじめる。
+ + +
12月の寒い日だった。
真っ白い雲に覆われた空。吐く息は白くて手袋ごしにも寒さが滲み入ってきた。わたしはひとりで自宅から校門までの長い下り坂をとぼとぼ学校に向かっていた。わたしの家は山の手にあって、毎朝の通学は、長い坂を下っていったん平地に、さらにもう一度坂を上り丘のうえの中学校へ向かわなくてはならない。3kmほどの道のりの半分は坂道だった。しかも徒歩。
いつもは待ち合わせをするアヤちゃんともその日は一緒じゃなかった。彼女は卒業文集の制作委員で、今朝は1組と合同の会議があるとかだった。
やっと校門。
体育のサエキ先生と生徒会のタキグチさんが並んでふたり立っている。
「おはようございます! おはようございます!!」
2年のタキグチさんはほっぺを赤くして半ばやけくそ気味に生徒たちへ無差別に挨拶をしていた。生徒会と先生は毎朝、当番でこれをやってる。いわゆるひとつの伝統というやつで、わたしが1年生の頃からずっとこうだ。どんな意味があるのか知らない。先生にとってはそれなりに意味がある行為なのかもしれない(不良分子を発見する、とか?)が、生徒会役員は別だろう。彼女たちは、その無意味さを意識したことが一度もないのかもしれなかった。生徒会は大変だ。とてもじゃないがわたしには無理だ。そんなことを考えていたのを覚えている。
校門から長い上り坂になる。
脇道のない桜並木の私道を200m以上歩くのだ。学校は丘(というか山と書いたほうが適当か?)の上に建っている。くねくねとS字を描く上り坂。回りには森とみかん畑、放課後は運動部が走り込みに使っている。
私道だからアスファルトで舗装なんてされてなくて、普通のコンクリートで固められた灰色の道だった。ところどころヒビが入ったり、砂利が顔を見せていたり、穴が空いてたりしてる。予算がないのか修理されてない。
そんな坂道を、わたしはもう500回以上往復してる。わたしにはそれが信じられない。毎日、登校という行為だけで1日の忍耐を使い果たす気がしてうんざりだった。
わたしの前をヒデタカくんが歩いていた。彼は学年でいちばん頭がいい。この県でいちばんの公立進学高の校区外枠を狙っている。彼の広い背中を見ながら、わたしも黙々と坂道を坂道をのぼった。きっとわたしの感じるような「うんざり」は彼には無縁だろう。わたしも私立の進学校を受けるつもりだったけど、彼ほど勉強もしてなかったし、成績もよくなかった。その日は、朝から数学の小テストがあるはずだった。
そのとき。
そのときわたしの右足から「なにか」が外れた。
突然だった。
あれ、わたしの足ってこんな感じだっけ? こんな感覚をしてたっけ?
そう思った。
その次の瞬間、右足がプラスティックになった。
あっ、と思った瞬間膝が折れ、しかし左足はすでに前に進んでいて、その左足からもついでのように「なにか」が外れた。
気がつくと、わたしはざらざらのコンクリートに思い切り両膝をついていた。体を支えるために思わず手をつく。手が鬼おろしのようなコンクリートの上を前に滑った。全身から急速に力が抜けていった。他人から見たら、歩きながら器用に転んだように見えたかもしれない。
なにがおこったのかわからなかった。
顔を上げるとヒデタカくんがこちらを見ていた。なにやってんの?というような、どこか軽蔑したような冷めた顔をしていた。体をおこし、手のひらを見る。わたしの両手はぶるぶる震えていた。
血がにじんでいる。とにかく足の感覚がおかしい。膝からは派手に出血していた。それはわかる。
だけど、それがひどく非現実的だった。まるで別世界のように見えた。痛み、これが「痛み」というものだっけ。そう思った。痛いのだ。痛いのだが、この「痛み」はわたしの知る痛みとは違っている。
膝をついたまま前を見る。ヒデタカくんが2,3歩近づいてくる。もっと上を見る。大きく手を広げる桜の枝、透かして空を見る。白い空。冬の空。でもぜんぶ、わたしが知っているものとは違っていた。そうとしか言えない。凄絶な違和感だった。
直感的にわたしは「狂った」のだと悟った。足の病気とか、そんなもんじゃない。すでに両手の感覚も変わっていた。「なにか」が両手からも失われていた。外れた感覚すらしなかった。さっきまで痛かったのに、その痛みは抜け殻になっていた。痛い。痛いのに、その「痛み」は偽物で、わたしがこれまで感じたことがない「遠い感覚」だった。
もう一歩も動けなかった。
わたしに声をかけてくれるヒデタカくんも、走り寄ってきた女子の顔も、わたしには異様なものだった。知っているひとなのか、知らない人なのか、確信が持てなかった。ぶるぶる震えながら彼らを見ていた。恐怖だった。
一瞬のうちに世界が切り替わった。その日の朝、わたしはちゃんと目玉焼きを食べ、トーストを食べたのだ。それも全部、なにもかも遠くなった。あれは夢か。もしかして、わたしはとっくの昔に狂っていて、いままで気がつかなかっただけなのか?
力が抜け、またよつんばいになった。
顔を上げることもできない。
空が恐ろしい。なぜ白いんだ。白ってなんだ。空は青だろう透明だろう。わたしにだけ白く見えているのか? そんなことをずっと考えていた。おそろしくておそろしくて、どうしようもなかった。
誰か呼んできてくれたのか、坂道を男の先生が走り下ってきた。声をかけてくれるが答えようがない。どう説明したらいいのかもわからない。
うーあーうーあーと自分でも意味のない言葉を発しているのはわかる。そしてすでにそれがわたしの声ではないことにも気がついていた。いま呻いているのはいったい誰なのか? これはいったい誰の声なのか? めまいがして、わたしは吐いた。
まるで書き割りのような光景だった。白い空。ペンキで雑に塗ったような空。空に根を張る桜の木。黒いペンキで書かれた絡み合う木の枝。むかしおじいちゃんが撮った8mmフィルムのなかにいる何十年も前の人影みたいにぺらぺらな同級生の姿。マッチで火をつければ全部燃えてしまいそうな、かさかさした世界。異次元。
いや、もともとわたしはこんなところで生きていたのかもしれないとも思った。わたしがバカで、ただ気がついてなかっただけなのか。もうどちらなのか理解できない。先生がわたしを抱きかかえて走りだしたときには、すでにわたしは、呻き声ではなく、金切声で絶叫していた。
わたしは保健室に運び込まれ、ベッドに押さえつけられていた。身体感覚のあまりの異常さに、わたしはじっとしていることができなかったから。すでに大事な「なにか」はわたしの身体全体から外れ、あっさり消えていた。全身が瞬時に非生体へと、ぶよぶよしたシリコンみたいな得体のしれない物質に入れ替わったというわけだ。
同時に。「書き割りのような光景」、つまり変容は、すでに視覚も支配していた。
わたしは保健室の窓ガラスに恐怖した。透明であるということが理解できなかった。透明とはなんだ。透明なものは触れることができるのか? 透明ってのは固いのかやわらかいのか? こんなことを錯乱しながら、どこか冷静に、真剣に、考えていた。「透明とはなにか」が、もうわたしには理解しがたいものになっていた。わたしは透明を知っているのか。今日の空は白くて透明じゃなかった。青くて透明なものはあるのか? 白くて透明なものはあるのか? あのガラス窓は青いのか? 白いのか?
いてもたってもいられなかった。
わたしはさっきあの坂道で見た空とガラスのことをぐるぐる考えていた。
わたしは押さえつける保健の先生を振りはらって、窓に走り寄った。次の瞬間、わたしはガラス窓を思い切り叩き割っていた。右手が切れて血がだらだらと流れた。痛くも痒くもない。無敵だなと思った。もう1枚割ろうと手を振りかぶった。先生は悲鳴をあげ、わたしの名を呼んで後ろから抱きついた。保健の先生の白衣にもわたしの血が飛び散ったのが見えた。保健室の隅で、どこかに電話をかけていた男性の先生が子機を放り投げ、保健の先生ごとわたしを床に組み伏せた。何人も先生がきた。そのあとのことはよく覚えていない。最後に覚えているのは、わたしが、わたしのまわりの透明な空気に触れようと、血の流れる片手を振りまわしてたことだけだ。
感覚にフィルターがかけられているような。エフェクターを10個以上直列につないで、ギターをアンプにつないでいるような。わたしの魂とわたしの感覚器には、混乱のなかで、突然ありえない距離が生じた。
そうやってわたしは、本来だれもがあたりまえに持っているはずの、「リアリティ」ってやつを失った。
離人症という病気だった。最初の確信は正しかったわけだ。つまり、わたしは狂ったのだった。