昨夜遅くまでHと電話で話し込んでいたので、ずいぶん寝過ごした。
朝食。ひとりで。
ブッセ、アッサム。ブッセのフィリングはホイップクリームと苺のジャム。
午前中、校正2つ。メールを2通。
昼食。ひとりで。
マグロとアボカドのづけ丼。
午後、ごく簡単な翻訳仕事1本。こんなの、わたしじゃなくてもいいだろうに、と内心おもた。
あとはプロット作成の続き。調べもの。
夕食。まありとふたりで。
海老入り水餃子、マグロのあぶり焼きと玉ねぎのサラダ、
小松菜の中華風オイル蒸し、筍のマリネ、玉子スープ。
(ご飯はなし。餃子にはご飯はつけないものだ。)
アルコールはヱビスビール。
水餃子は酢醤油かオリーブオイルで。
薬味はペニンシュラのXO醤、ラー油、ニンニクすりおろし、生姜すりおろし、柚子胡椒、黒胡椒。
強力粉で皮から自作した。蒸し餃子も作ろうかと一瞬思ったけどめんどくさくてやめた。
シューマン「幻想曲ハ長調」をリヒテル盤で。
昨夜はポリーニ、今日はリヒテル。対照的な演奏。
リヒテルのアツさは、シューマンからベートーヴェンを掘り出すための戦略なのかもしれんと思いついたり。
と、半野喜弘の企画盤、イタリアのわけがわからんドローンものなど。
読書。
川端康成、コンディヤック、ラノベ、コミック。
伊藤悠子の詩集。
イマジナリーな世界からアクチュアルな世界へ詩が踏み出そうとする。
たとえば、インカの生贄に捧げられた少女のミイラ、いまこの瞬間にも遺棄されて死んでいく子どもたち。
詩はリアルへ向かって歩みだそうとするが、やはり詩は強力で、
「記憶」という力に化身して、それらをすべて抱擁し、縛り、固着させる。
それが良いことなのか悪いことなのか、わたしには判断することができない。
ろうそく町
ろくそく町に行こうと思います
ろうそく町は古い地図の中にあるはずなのですが
場所は確かめられません
名前だけが残っているのです
名前は記されてあるのです
あのろうそく町でろうそくを売るのです
あまり売れません
最後に売れたのはだいぶ前のことです たしか
ろうそくの埃を拭いたり
その数を確かめるともなく確かめたり
ろうそくを拭いているとおのれの罪科を拭いているようなのです
隣の店もろうそくを売っています
前の店もろうそくを売っています
隣の店のひとも
ろうそくの埃を拭いたり
きっと同様にしているでしょう
前も隣もとても静かだからわからないけど
暮れると
店先にろうそくを点します
よそも同様にしたのでしょう
町はその瞬間
明るくなり
遠くなり
わたしはやっぱりここにいて
明けがたのの夢のつらさに
もうろうそく町に行くほかはないと思っているのです
ろうそく町は静けさだけがたよりの町です
やはり、わたしたちは詩を撃つほかないのだ。
就寝、3時半予定。

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