You know, is it all right not to hold it in anymore? (28th Apr. 2012)

/ 2012年4月29日日曜日 /

起床、7時。今日も終日晴天。

朝食、まありと。
トースト、サニーレタスとセリのサラダ、
ジャム2種(コリアンダー風味のリンゴジャム、グレープフルーツとバナナのジャム)、コーヒー。

昨日の原稿4枚、推敲&脱稿。
資料をまとめファイルする作業をこつこつと。

昼食、ひとりで。
白粥、菜の花の醤油煮、筍の豆鼓炒め。

菜の花はオリーブオイルで炒め蒸しして、お醤油をまわしかけて、軽く水分を切ったら出来上がり。
ざるなどでお醤油を切るのがポイント。
お醤油ちょっと甘いほうがいい。今日はジョーキュウ醤油を使った。
ついでに、昨日砂肝を大量に買ってきていたので、処理して、醤油漬けにした。

午後は書庫内で作業。
メモや付箋にまみれながらの作業。
これでほぼ終わり。

少し散歩をする。
今日はすでにGWに突入していて、あちこちで子どもたちが遊んでいる。

虻澄みてつゝと移りて又澄みぬ  虚子
  
里の子や髪に結いなす春の草  太祗

夕食、まありと。
豚と高菜のおこわ、イカとアスパラガスのXO醤炒め、豚しゃぶと水菜のサラダ、
もやしときくらげの味覇スープ、かぶと人参のぬか漬け。
ビールはヱビス。

田村合名「鷲尾」、黄麹でかめ壷仕込みの芋焼酎を飲む。封を今日切った。
ストレートで。あっさり。甘さもくどくなくてすいすい飲める。香りもいい。
水で割ると香りが立ってくるけど、いまのところはストレートで飲むか。
日が経つと加水したほうがおいしくなるような気もする。

おつまみ。
砂肝の醤油漬け、パリパリ鶏皮の五香粉風味、かぶのぬか漬け。

砂肝はお昼に仕込んだもの。けっこうめんどくさい。
砂肝を長ネギとしょうがの薄切りといっしょに下茹で。
そのあと粗熱をとって薄切り。
水気を拭いて、水、醤油、きび砂糖、紹興酒、八角、花椒、シナモンスティック、鷹の爪、
薄切りしょうが、ねぎのみじん切りで作った漬けだれに半日ばかり漬ける。

鶏皮は昨日の鶏油を作ったときにできたパリパリの皮を、
トースターで軽くあぶって五香粉と塩を振ったもの。これは簡単。

ほろ酔いで、音楽を聴いたり読書をしたり。
真田信治、友定賢治『県別・罵詈雑言辞典』。
全国の罵詈雑言を集めたもの。
県ごとの記述の冒頭が、いきなり罵倒ライヴというおもしろい体裁の本。

ごじゃらごじゃら語りがって、ただぎづげっど (宮城)
ばがしゃべりしてれば、うしろどっこ わったりやってるどー (秋田)
ぐじらぐじらずってっと、頭くらすけっつぉ (福島)
ぐずらぐずら言ってだら、頭三角にすっと (茨城)
ぐだぐだ言ーてっと、くらすけるろ (新潟)
ごじゃごじゃ言ーとると、いなか頭 かち殴るぞ (富山)
ぐだぐだ言ーと、こつをくれるぞ (山梨)
なま 言ーとったら いわすど (京都)
どうないやこないや言うよったら、どたまかちわってもたんどー (兵庫)
いらんこと言ーちゃーったら いてこますどー (和歌山)
かばちゅーたりょーりゃー ほんましばくで。わりゃー (広島)
どぐんだら 言ーよったら、どくろかちわるぞ (香川)
がたがたこきよったら、ほてくりこかさるーぞー (福岡)
なんのかんの言いよっぎん、くらすっぞー (長崎)
どたばた言ーよったら ちちまわすぞ (大分)
ぐっしゃぐっしゃ言っちょったら、ぶんたうったくっどねー (鹿児島)
めーやん くぃーやんすらー、たたっくるさーりんどー (沖縄)

これも当然収載されている。

どたまかち割って 脳みそかきまわしたろか (大阪)
ケツの穴から 手ぇ突っ込んで 奥歯がたがた言わしたろか (大阪)

世の中いろいろじゃよ。
就寝、2時予定。

Vermeer et Spinoza (27th Apr. 2012)

/ 2012年4月28日土曜日 /

起床、6時。終日晴天。
朝から掃除、洗濯。
ベランダの窓ガラスを拭く。

朝食、まありと。
蕎麦の実入りの雑炊(昨夜の残りごはんで)、もやしと筍の炒め物、筍のぬか漬け。

食事を終え、資料をそろえにすぐに書庫へ。
最初はスキャンしていたんだけど、めんどくさくなって、結局けっこうな量の本を運び出すことに。
水だしコーヒーを作るウォータードリッパーも書庫から回収。
天気が良くて、少し買い物(アイスコーヒー用の豆)をしたり、散歩をしたり。
藤の花をみかける。7分咲き。金雀枝、みやこわすれ。

藤棚の風は紫にて候  山下しげ人

金雀枝の咲きあふれ色あふれけり  藤松遊子

雑草園都忘れは淡き色  高濱年尾

帰宅して昼食、ひとりで。
蒸しジャガイモのアンチョビ乗せ、クレソンと生ハムのサラダ、コーヒー。
水だしコーヒーをさっそく作る。

午後、2枚。脱稿。その後、気力が続かず。
クッキーを焼いたり、料理をしたり。

夕食、まありと。
海老とクレソンと春キャベツの水餃子、蓮根のマスタード和え、
ネギと玉子の鶏油炒め、きくらげともやしの中華スープ、ごはん。
ビールは、まありが「飲んだことない」と言って買ってきた333。

水餃子は皮も自作。
たれはオリーブ油+わさび+米酢+塩、黒酢+にんにく+醤油の2種。
蓮根は酢を入れて下茹ですると固くならない。鶏油も自作。

ウクライナで連続テロ。
ロンドンで立てこもりのニュース。

ボルドーのデザートワイン「Chateau Peybrun 1998」。
ぎんぎんに冷やして飲む。おいしい。
蜂蜜、レモンの香り、ごくかすかに苦み。
これはもっと寝かせるとさらにおいしくなるような気がする。あと数年?
肴は昼間に作ったドライいちじくとくるみのクッキー。
このワインに合わせるのであれば、もうちょっと甘さをひかえたほうがよかった。

読書。ジャン=クレ・マルタンの『フェルメールとスピノザ』を読了。
スピノザはなにも決定論者だったわけではない。むしろ、自己以外の外部にもたれかかろうとする人間に、
自由の厳しさを教えようとしたのだろうと思う。
厳しいけれども、そのさきにはきちんと見返りがあるのだと。

パラダイスもなければ、後ろに隠れた世界も超越的な世界もないのだ! ここから、この内部から、われわれは一種の永遠性の経験を行なうのであり、そのときわれわれを活気づける”コナトゥス”は精神ともっとも正しくかつもっとも適合的な関係のなかに置かれて、真の観念がおのずから姿を現わすのである。しかし、めいめいがおのれの存在に即して存続し続けようとする努力を倍加するこの自己ヴィジョンは、全員に等しい仕方で与えられているわけではない。ここでも、異なった認識の段階があり、異なった種類の世界の読解の仕方がある。正確を期して言うなら、それは三種類ある。経験による認識、理性による認識、そして直観による認識の三つである。そして、この三つ目の認識が、観念を理性によって演繹することも、経験によって帰納することもなしに、観念をそれ自体として捉えることができるのだ、とスピノザは言う。
自己に署名し自らを正当化する真の認識は、演繹的観点から見ても、帰納的観点から見ても、ほとんど同じことである。しかし、直感だけがおのずから輝くものの明証性をキャッチすることができるのだ。これは直観に高度なかたちを与える絵画の歴史であり、ひとえにまなざしの効用にかかわる。実際、直感は自然が自らに即して広がりを持つのと同じような仕方で自然の光を取り入れる。それは自然的で自然を生み出す思考の明晰性のなかで、自然が自然身体によって見られた姿である。それはスピノザが精神が〈神あるいは自然〉に向かって立ち上がっていくときに身体が経験するものとみなした至福のヴィジョンにほかならない。しかし精神は、本当に自然の眺望と融合すること――たとえば『デルフト眺望』のように――ができるのだろうか? 精神は活動的であると同時に観想的であることができるのだろうか? 精神はつねに外部の支柱、根拠のない幻想としか言いようのない外在性や超越性を必要とする帰納法や演繹法から身を解き放つことができるだろうか?

深夜、4枚。
明日、推敲して脱稿する予定。
世間では連休がはじまっているけど、わたしには関係ない。

就寝、3時半予定。

PRESENCE (26th Apr. 2012)

/ /

実は先日は朝5時ころ眠り、6時半に起きた。
しかも恐ろしく不快な夢で。
にもかかわらず、終日晴れ。

朝食、まありと。
卵焼き、小松菜のお浸し、小松菜のお味噌汁、きゅうりのぬか漬け、ご飯。

午前中、10枚の仕事。
ひさしぶりに半分以上書いたものを破棄して全面的に書きなおすなんてことをする。
こういうことはあまりないんだけど、やはり疲れてるのかもしれない。
こんなふうに書き上げた成果物は、しばらく寝かせたうえでもういちど推敲すべき。

昼食、ひとりで。
豚肩肉とルッコラのカサレッチ、セリとサニーレタスのサラダ、ミニトマトのピクルス。
カサレッチには空豆と筍も入れた春っぽい感じ。クリームソースで。
がっつり。

午前中の仕事を終わらせる。
その後は書庫で資料を探したり、スキャンしたり。
ついでに書斎にたまってきた本やレコードやヲタグッズを書庫へ持ち込む。
どんどん増えていくのが正直怖いんですが。

夕食、まありと。
テンジャンチゲ、春野菜のナムル(アスパラ、さやいんげん、筍、空豆、菜の花)、
ししとうとみょうがの味噌コチジャン漬け、蕎麦の実入りごはん。
ビールはサッポロ黒ラベル。

テンジャンチゲの具は豚肉、じゃがいも、あさり、えごま葉、ズッキーニ、お豆腐。
テンジャンは小娘に買って来てもらったのだが、偶然、材料が大豆オンリーのジャンだった。
最近は混ぜ物がしてあるものが多いから、むしろ珍しいかもしれない。
ちなみにテンジャンは、米や麦が入っていないので甘くない。かわりにコクがある。
日本のお味噌汁は煮たてちゃダメ。「煮えばな」の見極めがお味噌汁の難しさ。
だけどテンジャンはぐらぐら煮たててもいい。味が変わらないし、むしろコクが増す。

ししとうとみょうがのコチジャン漬けは、昼食の時に仕込んでおいた。
コチジャンだけでなくテンジャンも使ってみたから、正確に書けば「サムジャン漬け」になるのかな?
テンジャン+コチュジャン+はちみつ+白炒り胡麻+ごま油。
みょうがには切り込みを入れて味が染みるようにしておく。
2、3時間、できれば半日くらい漬け込むとおいしい。

読書をしようと思ったのだが、昨夜に引き続いて他者に関するあれこれをワインを飲みながら。
オイルサーディン缶に山椒の実の佃煮を入れてぐつぐつ。
「ルミエール・イストワール2010」という甲州ワイン。はじめて飲む。
デラウェアだからもっと甘いのかと思っていたら、わりと辛口だった。

ボロディン「交響詩《中央アジアの草原にて》」を聴く。
ロストロポーヴィチ&パリ・オペラ座管弦楽団の77年もの。
思い切った楽しい演奏で、しかしピタッとはまる。
舞台役者のみえを切る様子っぽい良演。

本垢顔本で討議の様式についての討議。
いくらかトドを撃って寝る。
この日記も書かないで、しかも本を一切読まないという堕落した日であった。
ここしばらく、いろいろだらけているな、と思う。

就寝、3時。

This changes everything. (25th Apr. 2012)

/ 2012年4月26日木曜日 /


起床6時。午後からひどい雨。

サラ・ヴァン・ゲルダーの『99%の反乱』を再読する。
オキュパイNYはその運動の成果として「占拠運動の10の原則」を掲げることができた。

1)危機の元凶を名指しする:99%の抱える問題はウォール街の拝金主義、腐敗した銀行、そして企業の政治システム乗っ取りに原因がある。

2)求める世界像をはっきり示す:わたしたちは、最も富める1%のためだけでなく、みんなのために機能する世界を創ることができるはずだ。

3)公の討議の新しい基準を作る:今や、政策や提言を主張する者は、そのアイデアが99%のためのものであることを実証する必要がある。1%のためだけではもはや十分ではない。

4)新しい物語を提示する:解決法はもはや政府を困らせることではなく、社会や政府を企業支配から解き放つことだ。

5)大きなテントを作る:わたしたち99%は、あらゆる年齢、人種、職業、そして政治的信条の人々から成り、互いに尊びながら協力しあうことを学んでいる。

6)変化をもたらす機会をみんなに与える:誰かが仕切っているわけではない。誰でも参加でき、何かを実践させることができる。

7)運動であって、要求リストではない:一時しのぎや一つの問題の改善ではなく、変革による構造改革を求めることが、運動維持の活力源となる。

8)地域と世界を結びつける:人々は地域特有の課題、策略、目標を持っている。しかし同時にわたしたちは連帯、コミュニケーション、そして展望をグローバルなレベルでも共有している。

9)深淵な民主主義と共同体の倫理と実践を提供する:粘り強い意志決定は、すべての声に耳を傾けた時に、見識と公の公約に変わる。占拠地は、誰もが怒り、希望、そして夢を、相互に支え合う雰囲気のなかで論じることのできるコミュニティーである。

10)わたしたちは力を取り戻した:政治家や指導者が変化をもたらすことを期待するかわりに、今やわたしたちは自分たちに力があることがわかる。わたしたちの生活を抑圧する力の犠牲者になるかわりに、世界を作り変える主権を主張するのだ。

隠岐せんせいがおっしゃるとおり、原則の提示があってはじめて、討議を始めることができる。
運動の持続と社会の変革は、討議のための柔軟な方法論を最初に掲げることができるかにかかっている。
オキュパイ運動は、その点においては、ごく最初に奇跡的な進展をみた社会運動だと思う。

朝食、まありと。
大根餅、ほうれん草のチャンプルー、きゅうりのぬか漬け。
大根餅は上新粉と大根、桜えびで。たれはポン酢とごま油、炒り胡麻。

電車で長崎へ。
車中と長崎駅のスタバで4枚書き上げ、速攻で脱稿。

昼食、ひとりで。
長崎駅からぽつぽつ雨が降るなか、「かたおか」へ向かう。
皿うどん。おいしい。
ちょっと味が濃いので、お酢をかけて食べると、なお美味しくなる

Hせんせいの研究室へ。
昨日のOせんせいと同じく、いつも思うのはこのひとたちはみな総じて「物語」を否定しないということだ。
学というのは、ディシプリンを支える(あるいは「ディシプリン」(訓練・教練・統制)が支える)客観性と
研究者それぞれ固有の物語が衝突する場、その衝突のなかでしか衡平は生まれないのではないか。
イデオロギーをむやみに恐れて、透明にしてはいけない。
そう考える。

帰りの車中でICレコーダを聞きながらレジュメ作成。
帰宅は21時。

今日はまありが食事を作ってくれていた。
肉じゃが、レタスサラダ、キャベツと油揚げのお味噌汁、きゅうりのぬか漬け。
ビールは、サッポロ黒生。

お風呂に入って、twitterしながら深夜レジュメ作成の続き。
もうひとつ原稿を書くつもりだったけど、明日にまわすことにした。
疲れた。

就寝、1時半予定。

I miss my Watson. (24th Apr. 2012)

/ /

起床5時半。晴れのち曇り。
コーヒーを飲んで、すぐにトド撃ち。

朝食、まありと。
オイルサーディンのオープンサンド、筍のピクルス、コーヒー 。
筍のピクルスは自家製でカレー味。

サンドイッチを作るついでにもずくとミニトマトのピクルスを仕込む。
和風に、昆布と米酢など。

「アンシダン」の整理を午前中に終えてほっとする。
これで、スタートライン。
まず先行して書いていこうと決めていた部分のラフスケッチをはじめる。

リヴィングにまありが本を置きっぱなしにして学校へ行っていた。
わたしが貸した本だ杉井光せんせいの『神様のメモ帳』。

事務所の玄関の前で、アリスは振り向いて、僕のフロックコートの胸に手を押しつけた。
「ワトスン」
「・・・え? あ、僕?」
「ジョン・H・ワトスンは、医者で、作家だった。知っているね」
「知ってるけど」
「一方、シャーロック・ホームズは探偵だった。探偵以外の何者でもなかった」
いったいなんの話だろう。こんな場所でする話だろうか。
「ホームズはその生涯で二度だけ、自分で小説を書こうと試みたことがある。そうして彼はこう嘆いている。"I miss my Watson."――ワトスンがいないとつらい、彼が質問したり、驚いたりしてくれないと、うまく自分の考えを語ることができない、とね」
僕は息をついた。アリスは僕の胸から手を離し、ドアに背中をもたれた。
「探偵というのは、世界に対して、読者でしかいられないものなんだ。この世界の複雑さを受け入れ、その通りに読み取り、より分け、咀嚼し、帰納するしかない。でも」
アリスは目を上げる。
「作家は、ちがう。ぼくはある作家の執筆方法に関するコラムを読んだことがある。彼はこう書いていた。ラストシーンから、時間の流れとは逆に小説を書くことだってできる――むしろそれが物語の作り方としては正しい、と。わかるかい、作家は世界を演繹できるんだ」

昼食、ひとりで。
トーストとホットミルク。
トーストはコリアンダー風味の自家製リンゴジャムで。

すぐにOせんせいの研究室へ出かける。
途中、いつもは通らない道を通り抜けてバス停に向かっていると、道端にあやめが咲いているのが見えた。
雑草やらなにやら、よく咲いている。
山頭火三首。

何が何やらみんな咲いている

あるけばきんぽうげすわればきんぼうげ

今日の道のたんぽぽ咲いた

お土産に道明寺桜餅と草餅。

おらが世やそこらの草も餅になる  一茶

草餅の黄粉落せし胸のへん  虚子

薄き葉の中に朱味や桜餅  子規

目の前の浮世がたのし桜餅  岩木躑躅

90分ほどの予定が2時間以上話し込む。

夕食、まありと。
焼き鯖のトマトともずくのピクルスかけ、焼きししとうと白ネギのオイル煮(山椒入り)、
春菊と大根のサラダ(黒酢、太白胡麻油、塩)、春菊のスープ、大根のぬか漬け、ごはん。
ビールはハートランド。

鯖は七輪で焼いた。香ばしくなって美味しい。ソースは五山中
せっかくなのでお湯をやかんで沸かして焼酎。
愛媛の「宮の舞」という栗焼酎をお湯割りで。甘くて飲みやすい。
肴は干し餅、焼き筍、大根のぬか漬け。
ぬか漬けがどんどん美味しくなるのが嬉しい。

お酒を飲みながらレモンタルトを焼く。
いい加減、レモンを使わないともったいないことになるだろうから。

深夜、Oせんせいとのやりとりをレジュメに。
顔本で討議。白熱。

就寝、3時半。

fekete rigó 03

/ 2012年4月24日火曜日 /

わたしはこの家を早く出ようとずっと前から決めていた。だから、片道2時間以上かかる私立の進学校を受験しようと思っていたのだ。
往復だと5時間弱。これほどの時間を通学にかけるくらいなら寮に入りなさい。そんな自然な流れを期待していたし、実際そのとおりになった。
この進路希望を父母に伝えたのは中2のとき。父母は、わたしがこんな意外な進路を選んだ理由を、なんとなく理解していたかもしれないし、あるいはぜんぜん気づかなかったかもしれない。いまだに訊ねていないから、わからない。わたしはただ家を出たかった。

わたしと妹の母は、違う女性。
実母はわたしが物心つかない頃にはもう家にいなかった。祖父母がわたしを育ててくれた。祖母は子どものわたしに実母のことをずいぶん悪く言いきかせながら育てた。どうして母がいなくなったのか、その理由をさんざん刷り込まれたけれど、いまだにそれが真実かどうか知らない。わたしはとくに実母を恨んではいないけれど、会いたいとは思わない。実母の存在はいまだに希薄そのものだ。

祖母はこの悪口以外はとりたてて邪気のない保護者で、むしろ優しい人だった。祖母に育てられているあいだ、困った目にあった記憶はない。
わたしは祖母の作るお煮しめが大好きだった。里芋、にんじん、ごぼう、昆布、厚揚げ、干し椎茸、ときどきかぼちゃが入った。だしは煮干しでとっていた。いまのわたしがときどき作るお煮しめのだしは、祖母にならって煮干しでとるようにしている。でも、あの味にはどうしてもならない。不思議だ。
そして、お麩のお味噌汁。これも煮干しだし。

祖父母の家には池があり、鯉が泳いでいた。
すももの木があり、グミの木もあった。夏みかんや山椒の木、今の時期は紫蘭が池のそばに咲き誇った。田舎にある、ごくのどかな家で、わたしは普通に子どもらしく育った。

父が継母と再婚したのは小学校4年生の時。わたしは祖父母の家を出て、地方都市の小さな貸家に三人で暮らすことになった。
わたしにとって継母は単に同居人だった。べつに継母が意地悪だったわけじゃない。わたしには「母親」というものがよくわからなかっただけ。継母はほんとうに優しかった。お菓子を焼くのが上手で、70年代や80年代のおしゃれなポップスのレコードをたくさん持っていた。土曜日か日曜日のどちらかは、かならずお菓子を焼いてくれる。居間のステレオで音楽を流しながら、ガスオーブンでケーキを焼いたりパイを焼いたりしてくれた。継母の音楽の趣味にはかなわないし、お菓子の味もかなわない。わたしのガスオーブン好きは、きっと継母の影響なんだと思う。その頃は休日が楽しみでしかたなかった。

継母を「お母さん」と呼ぶようになったのは、妹がお腹のなかに宿ったときだったと思う。
このあいだ、妹ができたことを告げられて大喜びする子どもを撮影した動画がネットに転がっていた。見ながらこのときのことを少し思い出してわたしは涙ぐんでしまった。
あの日の父は、スタカンの「Speak Like a Child」をコンポにかけて、お手製のカレーを作ってくれたんだ。

わたしは愛されて生きてきた。だけど、この家を出なくてはと思いこんでいた。
わたしは「実母」という、この家にとってはひどく異質なひとの血を継いでて、どこかはみ出してると思っていた。
裏を返せば思春期特有の夢みがちな心理だ。貴種流離譚の主人公に自身をなぞらえて考えてたのかもしれない。ほんとうに愚かしい。でも笑ったりはできない。あの頃のわたしはそれなりに必死だった。家族を守りたいと真剣に思っていた。本を読み、継母から借りたレコードを聴きながら、いつどうやってこの家を出ようかと考えていた。そして、高校進学はその良い機会であるように思えた。

でも、あの日。中3の冬の日。
世界は前触れなくすっかり変わってしまった。いや、徴しはあったのかもしれない。でも、わたしには知らされていなかった。嵐がひととおり吹きすぎた後、わたしは思った。これは決められていたことだ。最初からわたしの「居場所」はなかった。消されていた。それに気がついていなかっただけ。わたしがバカだっただけ。

あっという間にリアリティを失い、すかすかな手触りと化した世界のなかに取り残されるということ。どこに行こうと、どこに住もうと、一人であろうと、誰かといようと、わたしはずっとひとりであり続ける。誰とも触れ合えず、何も知ることがない。遠いところからひとり指をくわえて物欲しそうにそっちを眺めているのがわたし。わたしの話を誰も理解できない。憐れんだ顔でただ頷いてくれるだけ。わたしの身体があの冬の日、一瞬ですり替わったなんて、誰が信じてくれるだろう。わたしは自分のことを「ロボット」のようにしか感じないんですって、誰が理解できるだろう。


いま、あのときの気持ちを考える。
あの喪失、放擲の感覚は、きっと母に捨てられたときの子の気持ちだ。


それなのに、わたしは高校を合格した。
特例ということで、わたしは保健室で受験することになった。わたしはつい2か月前に母校の保健室で大暴れをしていた。でも、そんなこと思い出しもしなかった。
保健の先生がつきっきりでわたしを監督した。合格祈願の字の入った鉛筆を継母が削ってくれていたけど、鉛筆を握る感触なんてなかった。力の加減がわからずに、いきなり2度芯を折った。ほとんどなにも考えず、どんな問題かもわからず、ただ機械のように答えを出し、出来の悪い産業ロボットのように殴り書いて、そして合格した。
ほんとうにどうでもよかった。合格したからといって嬉しくもなく悲しくもない。ただ次のところへ移動することが決まっただけのこと。

入学式。わたしは欠席した。そのときも保健室にいた。
しかし集合写真だけは撮ることにしていた。父と継母のために。
わたしの隣にいた女の子のひじが、わたしの脇腹にずっとあたっていて、撮影中はそれが気持ち悪くて仕方がなかった。写真を中庭で撮影した後、わたしはすぐにトイレに走り込んで吐いた。その日は朝からなにも食べてなくて、直前に飲んだ紅茶が便器に落ちた。
どこにいたって同じなことはわかっているけど、これほどの拷問を何年も、もしかすると何十年も受け続けなくてはならないことに、わたしはぞっとした。だけど、単にぞっとしただけだった。

単にぞっとしただけだった。

God Knows (23rd Apr. 2012)

/ /

起床5時。晴れのち曇り。

起きてすぐに仕事2枚、脱稿。
ちょいちょい散歩。小手鞠が咲いてる。
パン屋さんでホテル食パンを半斤だけ買う。

小でまりや裏戸より訪ふことに馴れ  高濱年尾

朝食、まありと。
カニとアボカドのサンドイッチ、きゅうりのピクルスとチーズのホットサンド、アッサム。

「アンシダン」ファイルを(ほぼ)無作為に抜き出す作業。
えんえん、過去に書いた断片を読み続ける。
カウントすると、5289のファイルがあった。
我ながらすごい量だな。

昼食、ひとりで。
イチゴとホイップクリームのサンドイッチ、ダージリン。
ついでにリンゴとカルダモンのジャム、グレープフルーツとバナナのジャムを作る。

とりあえずファイルを500ばかり抜粋し、使えるもの200にしぼり、
それを分類したり加筆したりして今日は終了。苦行のようだった。
まだ手直しするけれども。なにせ文体がばらばら状態だ。
疲労困憊のまま、いくらかトド撃ち。

夕食、まありと。
筍とじゃがいもと砂肝のにんにくバター炒め、にんじんの白和え、
厚揚げ入りのカレーうどん、大根のぬか漬け。
ビールはハートランド。

白和えはクルミと塩麹を入れた。
コクが出て美味しい。カレーうどんは市販のルーで。

きゅうりの自家製ピクルスをポリポリしながらレモンハートのトニック割り。
音楽、読書、Twitter。
ドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」をクーべリック指揮イギリス室内管弦楽団で。
小川三郎『コールドスリープ』など。

  名乗りそびれたものたちのこと

ベンチに雪が積もります。
その雪をベッドにしようというのですから、
やはり子供たちの木は知れないものです。
川べりにあるベンチですから、
風がびゅうびゅうと吹きつけます。

そんなベンチに彼らは並んで寝転がり、
透き通った雲に覆われた空を見上げ、
何がおかしいのか、
笑ってばかりいます。
そんな姿を見ていると、
もとより私たちに理由などなかったのだなあ、
という気になります。
風が吹いてきただけで、彼らは笑うのです。
それがいくら厳しくても、
そこに悪意さえなければ、
彼らは笑っていられるのです。

わたしは一人の子供の手を取って、
自分の手のひらと合わせてみました。
するとその大きさは、私とちっとも変わりませんでした。
それどころか、
私の手をすっと握りこんで、
絶対的な力で私を閉ざしてしまいました。
一体そんなことをして、
これからどうしようというのでしょう。
私がいなければ実際彼らは、
ここから家へ帰ることもできないというのに。
他の子供たちはそれを見て、
弾けるように笑っています。
男の子も女の子も、
川面に風が小波を起こすように。

私がどんどん小さくなってしまいます。
それは眠りとも違い、
やがては消えてしまう予感すらします。
しかし子供たちに本気で抗議するなど、
大人気ないではありませんか。
私は雪の積もったベンチの隅で、
どんどん小さくなって閉じることを考えます。
するとしかしなぜだか、
心に小さなランプが灯ったような、
そんな気がするのです。
深い深い、
絶望的に終わらぬ夜に灯った、
暖かいランプのような。

閉じていきながら地面に芽をやると、
割れた雪の合間に小さな、
春の芽が顔を出しています。
つるつるの茎、つるつるの肌、
子供たちはそれを見ても笑うのです。
まるで全ての色は、自分たちが決めているというかのように。
しかし考えてみれば、
今年の雪は去年の雪とは少し色が違うようですし、
川が渦を巻く音もまた、
聞き慣れたものとは別のようです。

子供たちも私も、空や川や雪だって、
所詮は見て楽しむために作られたものであって、
海のように子孫を残すことはできません。
悪意はないにせよ、存在すなわち破壊であるという意味においては、
みんな同罪なのです。
ただ子供たちは子供たちらしく、暗にこの家を飛び出して、
外へ行こうとしているのでしょう。
その分だけ、子供たちは罪が重い。
子供たちが、笑い続けるものだから、降りしきる雪はもう、
桜と見分けがつきません。
そのようにして子供たちは、
冬と春の境目に爪を立て、
そこからぺりぺりと剥がしてみたり、
秒読みを始めたりするのです。
子供たちに理由など必要ない。
だから私の心には、小さなランプが灯っています。
しかし大人の義務として、今日が完全に閉じてしまわないうちに、
彼等にこの雪の上に、足跡をつけさせなくてはならない。

空は歪んで、とうとう大きくバランスを崩し、
子供たちの肌に直接触れるべく手を伸ばしはじめました。
雲一面にひまわりとりんどうが咲き乱れ、
風は濁流となって世界を押し流していきます。
私は必至で春の芽の色にしがみつき、
自分の罪の重さを恥じて、なのに彼らは寝転がったまま、
雪に埋もれて笑ってばかり、
いつまでもいつまでも、
起き上がろうとしない。
ええ、
子供たちにしてみれば、
まだ午前中なのです。

ジャン=クレ・マルタンの『フェルメールとスピノザ』をちびちび読む。
就寝、3時予定。

Bourbon Pecan Pie (22nd Apr. 2012)

/ 2012年4月23日月曜日 /

起床7時。午前中、少し雨が残る。午後から晴れ。
朝からお風呂やトイレの掃除など。

朝食。もずく雑炊、にんじんのぬか漬け。
昆布多めのかつおだし。

午前中、昨日の原稿の推敲。脱稿。
あれこれトドを撃つ。

昼食、まありと。
親子丼、椎茸と卵の白身のお吸い物、かぶと筍のぬか漬け。
親子丼は1人分につき卵黄を1個余分に入れると味が濃くなっておいしい。
そのぶん塩分控えめでよくなる。

ピーカンナッツとコーンシロップを購入したので、はじめてバーボン・ピーカンパイにトライ。
テキサスのお菓子。
はじめて作るのだが、手持ちのレシピはあまりにバーボンの量が多いような気がする。
ネットで調べてみると、それで正しいらしい。
フィリングがしゃばしゃばになりそうなんだけど、と不安になりながら作る。
パイ生地を寝かせたりする時間が必要だったりするので、結局出来上がりは夕方。
そのあいだ午後中はひたすら読書。

夕食、まありと。
スペアリブの豆鼓煮、ソラマメとたけのこの黒酢炒め、きのこの塩麹和え、
たたききゅうりの紹興酒漬け、ごはん。
ビールはスーパードライ。

塩麹和えは生シイタケ、舞茸、しめじ。
ごま油を加えてみた。よく合う。新発見だった。

食事後もずっと読書。
ステファニー・ダリーの『バビロニア都市民の生活』など。

紀元前19世紀、北メソポタミアのマリを統治していたヤスマハ・アッドゥのある日の献立は
以下のようなものだった。
(ちなみにヤスマハ・アッドゥはワイン好きで食道楽な王だったことは知られている)

クム・パン900リットル、サンミダートゥム小麦でつくったパン60リットル、ブッルム穀で作った「酸味」のあるエムスム・パン2020リットル、ケーキ950リットル、大麦で作った「酸味」のあるエムスム・パン2185リットル、アラッパーヌム酒940リットル、ヒヨコマメ100リットル、イスククム小麦11リットル、サスクム挽割小麦6リットル、サンミダートゥム小麦3リットル、(亜麻仁)油70リットル、蜂蜜(またはナツメヤシ・シロップ)3リットル、亜麻仁4リットル、ナツメヤシ5リットル――以上キスキスム月第4日、マリ王とその付き人の食事。

もちろんこの「リットル」という単位は便宜上の表記で、
実際にはどのくらいの量を示しているのかはよくわからないまでも、
この後の王の食事の記録に比べても桁違いな量の食事だったということはわかっている。
ここで酒として「アラッパーヌム酒」の名が挙がっているけれども、
これはビールにザクロの香りをつけた甘いカクテルのような酒であったらしい。
まことに洗練されている。

深夜、星見をする。
今日はこと座流星群。しかし極大は15時だった。そのせいか少ない。
1時間半ほど外にいて、見えたのは5つだった。

行灯をとぼさず春を惜しみけり  几董

外でバーボン・ピーカンパイを少し温めて食べる。
激甘なんだけどバーボンの香りの残っていて結構大人な味。
レシピの、あの大量のバーボンは意味があったってことか。
七輪でお湯を沸かして、I.W.ハーパーを割って飲む。

今夜は、ジャン=クレ・マルタンの『フェルメールとスピノザ』をお供にベッドにはいろうと思う。
就寝、3時予定。

Hello World (21st Apr. 2012)

/ 2012年4月22日日曜日 /

6時起床。曇りのち雨。
妙な夢。戦争の夢だった。

朝起きて、掃除をし、キッチンを磨きながらパンを作る。
山を越えたし、なんとなく気分もよかったから。

朝食、まありと。
焼きたてのシナモンロール、焼きトマトのマリネ、キウイのヨーグルトサラダ、コーヒー。

朝食を終えて仕事。
Kさんところの原稿4枚を失念していた(といっても来週金曜日が締切なのだが)ので、
さっさと終わらせ、昼から読書をしようと計画していたのだが、
まありが矢部の黒木の大藤を見たいというので出かけることにする。
雨も降りそうだし、正直あまり乗り気でもなかったのだけれど、
来週以降はおそらく部屋から出れないとも思ったから。
とはいえ、原稿をさくさく終わらせるように努力。

昼前には家を出ることができた。
とりあえず、電話でおさえることができたIBでランチ。

プリモ:赤ワイン風味のベーコンとクレソンのサラダ、たけのこのリゾット(木の芽)、リコッタと菜の花のパッケリ・オーブン焼き
セコンド:佐賀牛ロースのエギュイエット、佐賀牛もも肉の低温グリエ
コントルノ:ホワイトアスパラガスと生雲丹のサラダ
ドルチェ:ストロベリースフレ、バニラアイスクリーム

のこのこと出かける。
車の中では、初音ミクを聴いたりエグザイルを聴いたり。
昼ごはんは食べたのに、朝焼いたシナモンロールをmgmgしながら運転する。

(Hello Hello, My World Lalala・・・)
(Hello Hello, My World Yeah・・・)

僕はいつでも スレ立てする
串をさしかえ 自演の日々

スレを開けば 全レスする
ボカロスレには 書き込まない

新スレキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
新スレキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

新スレキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
新スレキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

まとめサイトの 赤い太字
世界で僕が 生きた証

新スレキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
新スレキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

誰かがうpした ZIP の
パスが解けなくって 泣きたくて
このまま落ちる そんな時
次のスレを開く喜び
抱きしめて

(Hello Hello, My World Lalala・・・)
(Hello Hello, My World Yeah・・・)

(Hello Hello, My World Lalala・・・)
(Hello Hello, My World Yeah・・・)

(Hello Hello, My World Lalala・・・)
(Hello Hello, My World Yeah・・・)

新スレキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
新スレキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

新スレキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
新スレキタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

黒木の大藤に着くころには、雨。
コンビニで傘を買い、境内で鑑賞する。
まだ三分咲きほどか、お客さんも少ない。
正岡子規は、藤の花は曇り空が似つかわしいと書いていた。
いわんや雨の日をや。

藤の花長うして雨ふらんとす  子規

この句ほど、花房も伸びきっていてはいなかったが。
帰りにソフトクリームを食べて元気を出して帰る。
帰宅17時半頃。

夕食、まありと。
タットリタン、鯵のラー油漬け、トマトともずくの酢の物。
ビールはアサヒスーパードライ。

タットリタンは骨つき鶏もも肉、じゃがいも、にんじん、たけのこなどを入れた韓国の辛い煮込み料理。
コチュジャンは使わない。
その分のコクやうまみを出すために、必ず骨つきの鶏もも肉を使う。
粗挽き唐辛子と細挽き唐辛子を混ぜて使うのもポイント。
韓国産の唐辛子を使うと香りがいい。
〆にじゃがいもを練り込んだ韓国のインスタントラーメンを投入する。
この麺だと、もちもちしていて煮込んでもなかなか伸びない。

鯵のラー油漬けは、韓国風のカルパッチョのような感じ。
エゴマの葉があればよかったんだけれど、今日は大葉。

夜、タンカレーをトニックで割りながらひたすらぐびる。
読書、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』第10巻など。
伏見せんせいが吹っ切られたようでたいへんうれしい。

「こんな日は、難しい諸々はなにもかも忘れて、部屋でエロゲとかするといいよ。トラックボール買って、モニターアーム使って、ベッドに寝転びながらエロゲ。仰向けでね。頭は低反発枕に乗せるといい。そうやってリラックスした体勢で、かわいい妹たちと戯れてると、悩んでたことがバカらしくなって、人生って素晴らしいって思えてくる。幸福の直中で、冴えたアイデアだって浮かぶ。もし浮かばなくても、そうやって過ごした時間は人生の宝物さ」
こいつは頭がおかしいが、とてもいいやつだ。

本垢で集中的に討議したり、メールを買いたり。
結局、まともに本を読む時間がなかった。
寝るまでのお供は、昨日と同様、ステファニー・ダリー『バビロニア都市民の生活』。

就寝は2時予定。

Meditations on Afrocentrism (20th Apr. 2012)

/ 2012年4月21日土曜日 /

6時起床。また妙な夢で目が覚める。
曇り、ときどき弱い雨が降る。

まありが朝早くに出かけて行ったので、朝食は抜き。
顔を洗って、もくもくと推敲作業。
ときどき昨日焼いたオールバターショートブレッドをかじりながら。

どうも推敲ってのは、やってもやってもきりがないような気がしてくる。

昼食、ひとりで。
パンプディング(チーズがっつり)、きゅうりのピクルス、コーヒー。
ピクルスは昨日仕込んだもの。もう少し待った方がおいしいかな。

午後もただ黙々と推敲作業。

夕食、まありと。
和牛ホルモンのピッツァ、エビと白いんげん入りの豆乳グラタン、
春菊と生ハムのサラダ、ミニトマトのピクルス。
ビールはハイネケン。

ホルモンは下処理して冷凍していたもの。
ピッツァ生地は既製品、ホルモン+ゴルゴンゾーラ+パルミジャーノ、ホルモンがっつり。
豆乳グラタンのほうはチーズなし、自家製パン粉。
このピクルスも自家製。こちらは漬かり具合は上々。
明日にはワインとも合いそうかな。

23時半、最後の推敲を終える。
脱稿。

お酒を飲みながら、イアン・ジェフリー『写真の読み方』をようやく読了。
おそるべき翻訳のダメさ。
同じ業界にいてこういう訳を読んでしまうと、怒りと悲しみに我を忘れてしまう。

写真はあなたを不死にすることができる。あるいは少なくともあなたを現存させ続けることができる。例えばブラーボは、床屋と客を見て、客が選ぶ向きでその男が貧しく思慮深い性格であることを理解した。ここではある知覚が提示されているのだが、その考えがブラーボに起こった瞬間、あなたもその眼差しを共有することができるだろう。もう一枚のイメージの凸凹のリズムと、流体と影の楽しい配列も同様である。アルバレス=ブラーボが見たとき、あなたにもそのシーンが一瞬にして現れ、またそれを同じように認知するだろう。このように写真が機能するためには抑制がなくてはならない。細部があまりにも多すぎると、あなたには自然主義しか残されていない。

「あなた」ってなんだよ(笑
「細部があまりにも多すぎると、あなたには自然主義しか残されていない。」ってどういう意味なんだ?(笑
なんで読者をここで厭味ったらしく説教しちゃうの?(笑
創元社が悪いだろ、こんなもん出版したらあかん。

レモンハート・デメララ151をぐびぐび。
むさぼるように本を読んだ。
ステファニー・ダリーの『バビロニア都市民の生活』を読みながら今日を終える。

就寝、2時半予定。

solla mikanagui a.k.a.delineators

基本的にいい加減。
しかも、ふだんは我慢してるけど、根がオタク。
仕事がらみの真面目のことは本垢にまかせて、
せめて副垢では本性を出すことにしたい。

座右の銘は「Quid sit futurum cras, fuge quaerere!」
ホラティウスせんせいの格言で、要するに「なるようになるさ」ってこと。
音楽と本が主食。
でも、料理を作るのも好き。お酒が大好き。
そんで、妹が好き。

まあ、そんな感じ。
 
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